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Architect's magazine

自分なりにコンセプトを立てて、 「こうしたら社会がよりよくなる」と 常に考えながら設計に臨む。 それが、建築家のあるべき姿だと思う

自分なりにコンセプトを立てて、 「こうしたら社会がよりよくなる」と 常に考えながら設計に臨む。 それが、建築家のあるべき姿だと思う

佐藤尚巳

「東京国際フォーラム」を統括・監理したことで知られる佐藤尚巳は、その知見を生かし、独立後も数々の大型プロジェクトに参画してきた。主なものに「神保町三井ビル」「青山OM–SQUARE」「いわき芸術文化交流館アリオス」などがある。強く意識しているのは、その街の魅力を高め、人々の心に響くような建築デザインだ。そして、それらは佐藤が重んじる豊かなコラボレーションによって世に送り出されてきた。2022年、日本建築家協会(JIA)の会長に就任。高い視座の下、佐藤は今、次代を担う人材の育成と、建築家の存在意義を社会に知らしめる活動に尽力している。

好きなものづくりと音楽が相まって、志向した建築への道

 生まれは東京だが、父親の転勤に伴い、何度か地を変えていた佐藤が落ち着いたのは愛知県。小学校4年から高校卒業までを過ごした。手先が器用で、工作やプラモデルづくりが得意だったのに加え、一貫して〝好きで〞のめり込んだのは音楽だ。建築とのかかわり、その端緒も実はここにある。

 一時は東京に戻って暮らした時期もあるのですが、動いたことで、都会にはない自然を楽しめたし、人との出会いも含めていろんな体験ができたのはよかったと思う。屋外遊びや運動が好きだったので、山に入って探検したり、水晶採りをしたり……伸び伸び育ったという感じですね。加えて、母が情操教育に熱心だったので、絵や音楽といった芸術系のものにも早くから触れてきました。なかでも音楽はとても好きになって、ピアノは中1まで続けたんですよ。クラシックにはまり、モーツァルトのピアノ協奏曲『戴冠式』を毎日のように聴いていたものです。

名古屋市にある県立旭丘高校に進学した頃、初めてクラシックコンサートを聴きに行ったのですが、会場は公会堂だったか、残念ながら音が悪かった。小さい頃から音感が養われていた僕の耳に残ったのは、音響の悪さでした。ならば「俺が日本で一番いい音楽ホールをつくってやる」と思っちゃったわけです(笑)。これが建築を意識した最初ですかね。もとよりものづくりが好きでしたし、音楽と合わさって素直に建築を目指すようになったのです。旭丘高校は進学校なので東大や京大を目指すのが自然だったけれど、校風がとにかく自由で、勉強しろとかいっさい言われない。だから皆、好きなことをして、3年の秋頃から一斉に受験勉強を始めるのですが、僕は出遅れてしまい……臨んだ東大受験は合格叶わず。滑り止めの大学に進むことも考えたのですが、僕と同様、建築をやりたいという友人が現役で東大に入ったものだから、ちょっと悔しい思いもあり、初志貫徹でいこうと。

「1年浪人して勉強を頑張った」佐藤は東大に入学し、前期課程を経た後は初志どおり工学部建築学科を選択。思いとしては、変わらず「いいコンサートホールをつくりたい」だったから、当初は建築家という職業や、建築物に対する具体的なイメージは持ち合わせていなかったという。

 建築を学び始めて、コルビュジエを筆頭とする世界的な作品群を見るなか、「こんな建物があるんだ」という驚きがありました。それまでは、何かの建物が好きとかじゃなく、自分の思いだけでしたから。それが具体的なものを知ってからは、グーッとのめり込んでいった感じです。特に惹かれたのはアルヴァ・アールト。最初の頃はよく真似をしていました。仲間と設計室に泊まり込んで、課題に取り組むのが本当に楽しかった。夜中になると、誰かから決まって「おーい! 牛丼ツアーに行くぞ」という声が挙がったりしてね。

大学の門は閉まっているから、塀を乗り越えて皆で食べに行ったのも、今となってはいい思い出です もちろん先生方の教えもありますが、先輩の設計を手伝いながら話を聞き、作業を通じて学ぶことが多かったです。そして、僕が手伝った先輩2人が卒業設計賞を取ったので、「俺も頑張って絶対に取るぞ」という目標も持てた。結果、幸いなことに取れたんですけど、僕は芦原義信先生の最後の年の学生だったから、椀飯振る舞いだったかも(笑)。卒業設計を発表する時は、磯崎新さんをはじめとする有名な建築家の方々がいらして、講評を受けられることにワクワクしたのを覚えています。

本取材は、佐藤氏が代表を務める佐藤尚巳建築研究所(東京・港区)のオフィスで行われた。
4名の事務所スタッフと。「昨今は、脳みその8割くらいをJIA会長の仕事に使っています(笑)」(佐藤氏)
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実務経験を積んでからハーバード大学へ。アメリカでの挑戦

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PROFILE

佐藤尚巳

佐藤尚巳
Nao Sato
1955年5月23日東京都生まれ
1979年3月東京大学工学部建築学科卒業
1979年4月菊竹清訓建築設計事務所入所
1988年5月ハーバード大学デザイン学部大学院建築学専攻修了
I.M.Pei&Partners入所(NY)
1990年1月ラファエルヴィニオリ建築士事務所入所(NY)
ラファエルヴィニオリ建築士事務所東京事務所長
1996年11月佐藤尚巳建築研究所設立
2022年6月日本建築家協会(JIA)会長

家族構成:妻、娘1人、息子1人

<その他活動>
国士舘大学工学部建築学科非常勤講師、武蔵野美術大学建築学科非常勤講師、東京工業大学工学部建築学科非常勤講師、芝浦工業大学建築学科非常勤講師、(東京都)港区景観アドバイザー、東京都市場問題プロジェクトチーム委員、など多数

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