アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

自分なりにコンセプトを立てて、 「こうしたら社会がよりよくなる」と 常に考えながら設計に臨む。 それが、建築家のあるべき姿だと思う

自分なりにコンセプトを立てて、 「こうしたら社会がよりよくなる」と 常に考えながら設計に臨む。 それが、建築家のあるべき姿だと思う

佐藤尚巳

「東京国際フォーラム」を統括・監理したことで知られる佐藤尚巳は、その知見を生かし、独立後も数々の大型プロジェクトに参画してきた。主なものに「神保町三井ビル」「青山OM–SQUARE」「いわき芸術文化交流館アリオス」などがある。強く意識しているのは、その街の魅力を高め、人々の心に響くような建築デザインだ。そして、それらは佐藤が重んじる豊かなコラボレーションによって世に送り出されてきた。2022年、日本建築家協会(JIA)の会長に就任。高い視座の下、佐藤は今、次代を担う人材の育成と、建築家の存在意義を社会に知らしめる活動に尽力している。

街づくりの観点に立った建築デザインを――。精力的に活動する

 90年、佐藤はラファエルヴィニオリ建築士事務所の東京事務所長として帰国。東京国際フォーラムの実施には日本の建築事情に通じた人材が必要で、佐藤が統括・監理を任されたのである。ここから約7年間は、文字どおり駆け抜けるような日々。「30代半ばから40過ぎまで、人生の一番おいしいタイミングを捧げちゃった(笑)」。

 延床面積が14万5000㎡という、とてつもない規模です。かかわるスタッフも大変な数で、そんなチームのトップになった経験などないですから、常に「これでいいのか」と試行錯誤しながらでした。立場的にはそれなりの建築家の顔をしてやっていましたけど、毎日朝から晩までこれ一本、持てる力を全部注ぎ込んだ感じです。でも、だからこそ得がたい経験ができたわけで、キャリアとしては非常にラッキーでした。チームワークの大切さ、クライアントとの関係のつくり方、そして大規模なプロジェクトの回し方……学び得たものが、以降の仕事につながる大きな礎になったのは確かです。

ラファエルの設計はPeiのスタイルに非常に近く、とても合理的でした。端的に言えば、JR山手線のカーブをひっくり返してガラスホールの空間をつくり、4つのホールを大きい順に並べただけ。そして、一番大きな展示場を地下に埋め込み、施設の真ん中に市民に開放されたプラザを設けるという単純な構成なのですが、実に理路整然としていて僕はとても好きでした。独立後しばらくは、そういうロジカルに構築できる設計をしていました。

独立したのは96年、この東京国際フォーラムを終えたあとです。アメリカの事務所からは「それなりのボジションで働かないか」と慰留されたのですが、やはり自分の設計をしたかったので。当初は、バブル崩壊で仕事があまりなかったのですが、三井不動産に勤めていた友人からデザインコンペに誘われたことが好機になりました。神保町の市街地再開発事業です。結果、コンペで選ばれて、神保町三井ビル、東京パークタワー、地権者のオフィスビルの3棟の外装と共用部のデザインを担当しました。これもけっこう大きなプロジェクトで、設計事務所や建設会社とのコラボで臨んだ仕事です。東京国際フォーラムの経験で素地はできていたと思いますが、街づくりの観点に立ったデザインを強く意識するようになったのはこの頃からですね。

 つくり出される景観は社会への責任とし、佐藤は「その街の望ましい姿は何か」を常に問うてきた。その姿勢と仕事が評価され、03年から東京都港区の景観アドバイザーを務め、他方、「吉祥寺シアター」「青山OM–SQUARE」などといった優れた建築を世に送り出しながら、その活動の幅を広げていく。

 吉祥寺シアターは、近くを走る中央線の騒音や振動の問題もあり、閉じないと機能しないので、劇場設計の鉄則どおりのブラックボックスにしました。ただし、演出者が創作的に自由に使えるような工夫はしています。演者が上下左右に動き回れる「からくり回廊」を劇場外周部に巡らせ、街路に面しては「都市回廊」と呼ぶ3層のバルコニー空間を設けました。結果的には、吉祥寺らしいストリート文化を感じさせる建物ができたと思っています。

実はプロポーザルの際、僕の案はオーソドックスだったので、建築家の審査員にはウケがよくなかったんですよ。選定後に「佐藤、お前もっととんがらないとダメだぞ」と言われちゃいました(笑)。でも「僕にはできません」と。アメリカでの経験が大きいですが、やはり、クライアントにサーブするのがプロフェッションだという確信があるからです。自分のための建築じゃない。少なくとも公共の仕事においては、利己的な建築設計をしてはならないと思うのです。

この後の青山OM-SQUAREも、自分らしさを出せた意味で印象深いですね。オフィスと商業の複合建築で、これは外装デザインのコンペだったのですが、途中からは建物全体の設計にかかわりました。というのも、原設計が多様な要求を満たすものになっておらず、「これを解決しなければ」と提案したのです。オフィスロビー、商業施設、駐車場の出入口、歩行者の貫通通路、地下鉄出口など足元で多様な動線を処理しなければいけない。オフィスの形も悪く使い勝手がよくない。

すべてを満たすために発想したのは、〝街を建物の1階に入れる〞つくりです。かつて東京国際フォーラムでやったように、建物全体を持ち上げて1階をフリーにし、敷地奥まで道路を引き込んで道路沿いに街を展開。劇場のプロセニアムアーチのようなイメージで、実際の空間や街の様子を演劇に見立て、その中で様々なことが起こることを想定したものです。車と人を並行させて敷地内に入れるというとんでもない発想はほかになかったし、全体計画に手を着けるのは要項違反でしたが、「このぐらいやらないといいものはできない」と提案したら、デベロッパーに評価してもらえた。このあたりは菊竹事務所のスピリットが生きたかな(笑)。街の活性化と魅力を生む、価値の高い建物になったと思いますね。

【次のページ】
JIA会長として未来を見据えた活動に全力を傾ける

ページ: 1 2 3 4

PROFILE

佐藤尚巳

佐藤尚巳
Nao Sato
1955年5月23日東京都生まれ
1979年3月東京大学工学部建築学科卒業
1979年4月菊竹清訓建築設計事務所入所
1988年5月ハーバード大学デザイン学部大学院建築学専攻修了
I.M.Pei&Partners入所(NY)
1990年1月ラファエルヴィニオリ建築士事務所入所(NY)
ラファエルヴィニオリ建築士事務所東京事務所長
1996年11月佐藤尚巳建築研究所設立
2022年6月日本建築家協会(JIA)会長

家族構成:妻、娘1人、息子1人

<その他活動>
国士舘大学工学部建築学科非常勤講師、武蔵野美術大学建築学科非常勤講師、東京工業大学工学部建築学科非常勤講師、芝浦工業大学建築学科非常勤講師、(東京都)港区景観アドバイザー、東京都市場問題プロジェクトチーム委員、など多数

人気のある記事

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ