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利用者=ユーザーにとって、事業者や建築家のエゴは関係がない。人は何に興味があるのか、何に喜ぶのか。 そこにストレートに答えることが大事

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アストリッド・ クライン

 アストリッド・クラインが初めて日本の地を踏んだのは1988年。追って91年にはマーク・ダイサム氏と共に「クライン ダイサム アーキテクツ(以下KDa)」を設立し、約30年にわたってデザイン活動を続けてきた。代表作「代官山T ーSITE/蔦屋書店」「GINZA PLACE」は、いずれも東京の新たなランドマークとして高評価を受けている。また、2003年にKDaが創始した「PechaKucha Night」は各国に広まり、今や世界1200都市以上で開催されるプレゼンテーション・イベントへと成長。様々な分野で活躍するアストリッドには境界というものがなく、多様な文化をバックボーンにした活動は常にチャレンジングだ。だからこそ人々を魅了する。

かねてより興味を抱いていた日本へ――。
拠点として活動開始


  88年、同大学院専門過程(建築)を修了した後、二人はかねてより「気になっていた」日本を訪れている。当時の日本はバブル全盛期。多くの〝尖った〞新しい建築物が生まれており、それらを「実際に見てみたかった」。その来日中に縁を得たのが伊東豊雄氏であり、二人の活動はここから始まった。

 本当は大学院に行く前から日本に来たかったんですよ。興味を持った最初のきっかけは、一つの美しい漆ボウルを見たこと。高い技術が施された彫刻のようであり、シンプルな形状ながら材料、色、かたち、すべてに真髄があって感動したのです。ただその時は、日本に行こうにも高くて学生の身では無理でした。建築設計事務所でバイトして貯めたお金と、もらえた奨学金を手に、やっと訪日が叶ったというわけ。

 ロンドンやパリのコンサバティブな感覚からすると、当時の日本の革新的な建築はとても魅力的に映りました。好き嫌いは別として、若い建築家にすれば「こんなのが建つの?」という感じで、羨ましくもありました。で、実際に来てみたら、例えば青山製図専門学校とか、浅草のアサヒビール本社ビルとか、驚くような建物がいくつもあって、まさに「unbelievable!」(笑)。

 有名な建築家にも会いたくて、訪日前にお目当ての事務所にはポートフォリオを送っていたんです。あの頃はインターネットがなかったから、住所を調べるのは大変だったけれど、本当にお会いできたのはラッキーでした。ヨーロッパの偉い先生方は、学生や若い建築家をあまり相手にしないのに、日本ってすごくやさしい。なかでも、伊東豊雄先生や槇文彦先生は、「仕事があれば長く日本にいられる」と考える私たちのために、親身になって相談に乗ってくださった。すごいことですよね。

 そんななか、伊東さんが「インテリアのプロジェクトがある」と声をかけてくれたのです。追って社員となり、マークと共に2年間お世話になりました。短かったけれど日本に家族ができたようなもの。今も、プロジェクトや伊東さんが主催する子供向けの建築塾や「みんなの家プロジェクト」でご一緒しています。いつまでもファイトある伊東さんを見ているとうれしいし、刺激を受けますね。


 デベロッパーから再開発プロジェクトのオファーを受けたのを機に独立し、91年、KDaを設立。折しもバブル経済が崩壊した年である。当初はプロジェクトが立ち消えになったりと憂き目にも遭ったが、インテリアや家具、インスタレーションなどといった幅広い活動が強みとなって、KDaはそのフィールドを広げていく。

 伊東さんから声をかけていただいていた「東京フロンティア」のパビリオン建築も頓挫しちゃって。基礎はまだお台場に残っているかもしれない(笑)。確かに仕事がなくなってつらい時期はあったけれど、それでも日本を離れようとは考えませんでした。いろんなところにプロポーザルを送りながら、インテリアや展示会構成なども手がけ、何とか乗り越えたという感じです。

 最初のプロジェクトは96年のイデー・ワークステーション。面白かったのは、使われなくなったガソリンスタンドを有効利用し、家具のショールームとして再生したこと。敷地の奥にあったキオスク、小さな2階建ての建物がすごく可愛くてね。それを撤去するのはもったいないと思っていたら、イデーの創始者である黒崎輝男さんも同じ考えだったので残したままリノベーションすることに。地鎮祭の時、神主さんから「ここは更地にしないと無理だよ」みたいに言われたんですけど、この頃は日本語でちゃんとした説明ができなくて……。黒崎さんが、現場でフォローしてくれたのを覚えています。

 キオスクは事務所として残し、それを覆うかたちで増築。ポリカーボネードの巨大スクリーンが全体をふんわりと包み込むような外観にしました。材料には、シャンプーや洗剤ボトルなどのプラスチックリサイクル品もけっこう使っているんですよ。あと、ショールームゆえに採光には特にこだわりました。ただ光が射し込むだけではつまらないので、窓ガラスにカラーフィルムを貼って、ステンドグラスのような効果を出せるようにしたんです。カラフルで楽しい感じがいいなと思って。リノベーション後もイデーのスタッフによって改装が繰り返され、生きた建築として長く愛されたのはうれしいし、初期の仕事として、私自身にも強く印象に残っている作品です。

事務所スタッフの送別会を行ったのち、原宿・東郷神社境内で撮影した記念写真。
晴天のなか、みんなが笑顔
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高いデザイン性に加え、人の心を動かす数々のプロジェクト

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PROFILE

アストリッド・クライン

アストリッド・クライン

1962年 イタリア・バレーゼ生まれ
1986年 仏国エコール・ド・アール・デコラティーフ卒業
1988年 英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修了
    リチャード・ロジャース旅行奨学金を獲得
    伊東豊雄建築設計事務所入所
1991年 クライン ダイサムアーキテクツ設立
    (マーク・ダイサム氏との共同設立)
2003年  PechaKucha Night 創始(マーク・ダイサム氏との共同創始)
2017年  DESIGNART TOKYO創始(発起人)

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