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利用者=ユーザーにとって、事業者や建築家のエゴは関係がない。人は何に興味があるのか、何に喜ぶのか。 そこにストレートに答えることが大事

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アストリッド・ クライン

 アストリッド・クラインが初めて日本の地を踏んだのは1988年。追って91年にはマーク・ダイサム氏と共に「クライン ダイサム アーキテクツ(以下KDa)」を設立し、約30年にわたってデザイン活動を続けてきた。代表作「代官山T ーSITE/蔦屋書店」「GINZA PLACE」は、いずれも東京の新たなランドマークとして高評価を受けている。また、2003年にKDaが創始した「PechaKucha Night」は各国に広まり、今や世界1200都市以上で開催されるプレゼンテーション・イベントへと成長。様々な分野で活躍するアストリッドには境界というものがなく、多様な文化をバックボーンにした活動は常にチャレンジングだ。だからこそ人々を魅了する。

いつも傍らにあったアートの世界。大学院で建築を学ぶ


 両親はドイツ人ながら、父親の仕事の関係でイタリアで生まれ育ったアストリッドは、早くから豊かな国際性を育む環境にあった。加えて、アーティスト家系だったことにも少なからず影響を受けており、現在の彼女の〝有り様〞は子供の頃から芽吹いている。

 高校を卒業するまでヨーロピアンスクールに通っていたので、常にいろんな国の子供たちと過ごしてきました。日常は複数の言語に囲まれ、授業にしても使われる言語は一つじゃないんですね。例えば、数学はドイツ語、歴史はフランス語、アートや音楽はイタリア語という具合で、初めからそういう環境にあった私は、それが〝普通〞だと思っていた。今にすれば、言葉はもちろんのこと、異文化も含めて多くを肌で学べた学校生活でした。

 父は科学者だったんですけど、彼のきょうだいはアーティストとかパティシエとか、皆クリエイティブな仕事をしていたんです。加えて母も手先が器用で、縫い物などがとても上手。私の服もほとんど母の手づくりで、いつもオリジナルではあったけれど、欲しかったリーバイスとかは買ってもらえなかった(笑)。その母は昔、インテリアデザイナーになりたかったらしく、部屋の模様替えやリフォームも本格的にやっていました。私も子供時分からサンドペーパーがけやパテ塗りなど、よく手伝わされたものです。私がアートの世界を志向したのは、ごく自然なことだったかもしれません。

 ただ、行く道を意識したのは16歳頃で、それまでは自由奔放(笑)。将来のことを真面目に考えることもなく、友達やボーイフレンドと遊ぶことを何より大事にしていました。あと夢中になって続けたのは、乗馬と馬の世話。イタリアでも有数の美しさを誇るマッジョーレ湖でね。この辺りはいわゆる別荘地域で、お金持ちが保有する馬を預かって散歩させたり、湖で一緒に泳いだりと、ボランティアで世話をするわけです。往復12㎞くらいの道のりを自転車でせっせと通っていたから、よほど楽しかったのでしょう。地域の美しさと馬と過ごす時間は格別でした。

 「アーティストになりたい」というアストリッドに対して、当初、父親はいい顔をしなかったという。才能やスキルがあっても「芸術で食べていく」のは容易じゃないことを知っていたからだ。しかし、彼女は思いを曲げず、フランスのエコール・ド・アール・デコラティーフ大学に進学。最初の3年間はファウンデーションコースで絵と彫刻の基礎を学び、インテリア、建築へと世界を広げていったのである。

 基礎を3年間やったところで、アートの道は違うかなぁ……と。どんなに好きでも、アーティストとして自立できるかどうかは別問題だと父はわかっていたのでしょう。悔しかったけれど、彼は正しかった(笑)。その後の2年間は、母の影響もあり、インテリアデザインを専攻して学んできました。その過程で知ったのは、空間全体を捉えることの面白さです。すると、いろんなことが気になってくるでしょう。私の場合、顕著だったのは窓の位置。素敵じゃない位置にあったりすると、自分でデザインをしたくなる。ならば建築も勉強しよう、インスタレーション的にはそのほうがいいと考えるようになったのです。

 それで次に進学したのが、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(ロンドン)の大学院。私にとってアートは切り離せないものですから、建築と両方を学べるのが魅力的でした。実際、選んだコースは建築とインテリアを学ぶ人が半々で、同じ課題に取り組んだりしていました。ほかにもインダストリアルやファッションなど、様々なデザイン分野から刺激を受け、そういうボーダレスな環境はとても面白かったですね。その後、ビジネスパートナーとなるマークと出会ったのもここ。当時、英語をうまく話せなかった私の代わりに通訳をしてくれたり、一緒に四苦八苦しながらコンピュータで図面を描いたりという、よき学び仲間だったのです。

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かねてより興味を抱いていた日本へ――。拠点として活動開始

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PROFILE

アストリッド・クライン

アストリッド・クライン

1962年 イタリア・バレーゼ生まれ
1986年 仏国エコール・ド・アール・デコラティーフ卒業
1988年 英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修了
    リチャード・ロジャース旅行奨学金を獲得
    伊東豊雄建築設計事務所入所
1991年 クライン ダイサムアーキテクツ設立
    (マーク・ダイサム氏との共同設立)
2003年  PechaKucha Night 創始(マーク・ダイサム氏との共同創始)
2017年  DESIGNART TOKYO創始(発起人)

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