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Architect's magazine

建築家の多様な職能が広く認識されるようになったこの時代は、本当に面白いと思う。活躍できる場がたくさんあるのだから

建築家の多様な職能が広く認識されるようになったこの時代は、本当に面白いと思う。活躍できる場がたくさんあるのだから

木下庸子

学生時代の大半をアメリカで過ごした木下庸子は、建築もかの地で学んだ。
入り口としては消去法的に選んだ道だったが、その面白さに魅了された彼女にとって、建築との出合いは「人生最高のもの」となった。住宅をはじめ、公共施設や歴史的建築物など、手がけた設計作品には受賞作が多く、プロフェッサー・アーキテクトとしての活動も長い。なかでも、木下が主題とするのは「住まい」だ。背景には、20代半ばになるまで頻繁に住まいを移ったという原体験がある。「住宅設計には様々な解が存在する」ことをリアルに知るからこそ、常に、そして真摯にその〝解〞を求め続けてきた。それが、時代性や型にとらわれない木下のオリジナリティを生み出している。

次代に向けて――。豊かで本質的な建築を模索し続ける日々

住宅以外で印象に強く残る作品を尋ねたところ、主なものとして「日本基督教団ユーカリが丘教会」(千葉県)と「真壁伝承館」(茨城県)が挙がった。いずれも高い評価を得ている渾身作だ。そこには住宅と同様、クライアントと真摯に向き合うことで最適解を見いだす木下の流儀が反映されている。

ユーカリが丘教会は2000年に完成した少し前の仕事ですが、牧師さんとの出会いから始まった教会建築でした。牧師さんには「21世紀に教会堂を建てる」という強い使命感があり、私は私で、以前から光が関係する建物をつくってみたかったので、必ず実現させようと資金集めからかかわった足の長いプロジェクト。ローコストで大変だったけれど、そのぶんやりがいがありました。その後もお付き合いが続き、「吉見光の子保育園」の時も声をかけてくださった。敷地の3分の1が崖条例に該当するような難しい敷地だったんですけど、「お知恵で何とかしてください」って。それで出した知恵が、建物と擁壁を一体化させたもの。規模を問わず、こういう仕事は燃えますね。

真壁伝承館のほうはプロポーザルコンペで取ったものです。老朽化した公民館を建て替えて、図書館や資料館の機能を加えた複合施設をつくる仕事。桜川市の真壁地区には伝統的建造物がたくさんあって、そのなかに建てるには、まず土地をリスペクトすべきだと考え、私たちは「サンプリングとアセンブリーでつくる景観建築」をテーマにしたんです。

歴史的に継承すべきである複数の建造物の形状、大きさなどを詳細に調査し、それをワークショップにも取り入れて、地域の方々とアセンブリーしながら練り上げる。単に建物のレプリカをつくればいいという話じゃなく、次代につなげていくために〝今の技術〞でつくることを重視しました。なので、外壁面の素材は鋼板パネルですし、屋根は瓦屋根ではなく鋼板、また壁も漆喰ではありません。一部、文化庁からの質疑を受けましたが(笑)、地域の方々ととことん考え方を分かち合ったからこそ、「その街にフィットした」ものが実現できたのだと思います。

プロフェッサー・アーキテクトとしても長く活動してきた木下は、現在、工学院大学の教授として教鞭を執り、学生たちとの研究活動にも励んでいる。その主軸にあるのは、本人が前述した「団地の今後」だ。それは少子高齢化社会とも深くかかわってくるもので、実は壮大なテーマでもある。

時代を経て、ようやく団地が歴史上の遺産になったような気がするんです。先述した住棟配置の工夫の素晴らしさに加えて、団地は圧倒的に豊かな外部空間を持っているでしょう。敷地にしろ、緑化にしろ、そしてパブリックなスペースにしても。実際、若い学生と一緒に視察に行くと、彼らは公団やURという言葉にはピンと来なくても、「植物園みたいだ」とか、その外部空間の豊かさに反応しますからね。今でいうランドスケープデザインの先駆けのような試みが随所に見られて、これら遺産をもっとうまく利用できないものかと常に考えているんですよ。

昨今は「団地再生」という言葉だけが一人歩きしているけれど、単眼的なリノベーションはもったいない。かつて団地が戦後の住宅難を救ったように、今の少子高齢化社会の問題を解決する何か突破口になるんじゃないか……それくらい大きな可能性を秘めていると思うのです。場所の利便性や法律の問題もあって、すぐにはかたちにならないでしょうが、研究テーマとして「次なるもの」を探究していきたいと思っているところです。

私はあまり先のことを考えず、その折々で出合いや機会に恵まれ、ここまでやってきましたが、職能の広がりとその面白さを、今つくづく実感しています。作品をつくるだけじゃなくて、コーディネイトや街づくりの調整とか、建築家の多様な職能が広く認識されるようになったこの時代は、本当に面白いと思う。難しい面もあるけれど、建築家が活躍できる場が多いのは確かです。だから、これからの人には自分の感覚を大切にして、見いだした目標に対して存分に力を発揮してほしい――そうメッセージしたいですね。

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PROFILE

木下庸子

木下庸子

1956年 2月7日 東京都生まれ
1977年 6月 スタンフォード大学工学部建築学科卒業
1980年 6月 ハーバード大学デザイン学部大学院修了
1981年 4月 内井昭蔵建築設計事務所入所(~1984年)
1987年10月 設計組織ADH設立
2005年 4月 UR都市機構 都市デザインチーム チームリーダー(~2007年)
2007年 4月 工学院大学建築学部教授

『孤の集住体』(住まいの図書館出版局/共著)、
『集合住宅をユニットから考える』(新建築社/共著)、
『いえ 団地 まち』(住まいの図書館出版局/共著)ほか

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