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Architect's magazine

日本には、構造家と建築家がコラボレーションする土壌がある。ここをもっと大事に育てていけば、「 建築デザインの、もう一つの本質的な意味」を世界に発信できると思う

日本には、構造家と建築家がコラボレーションする土壌がある。ここをもっと大事に育てていけば、「 建築デザインの、もう一つの本質的な意味」を世界に発信できると思う

斎藤公男

斎藤公男は、多彩な顔を持つ。手がけてきた作品はいずれも進取の気性に富み、研究者、そして教育者としても建築界の第一線を走り続けている。
1978年、自身の出世作ともなった「ファラデーホール」で考案した〝日本発〞の張弦梁構造、これを昇華させたハイブリッド構造は、今や広く世界に認知され息づいている。また斎藤は、アーキテクチャーとエンジニアリングデザインの融合概念である「アーキニアリング・デザイン」の提唱者でもある。
常に業界に波を起こし、数多くの有能な人材を輩出してきた功績は大きい。大切にしてきたテーマ「研究・教育・設計の融合」は、斎藤の生き方、人生そのものを象徴している。

建築の未来に向けて、アーキニアリング・デザインを提唱

2007年、斎藤は日本建築学会の第50代会長に就任。アーキテクチャーとエンジニアリングデザインの融合・触発・統合を表す「アーキニアリング・デザイン(AND)」という概念を提唱したのは、このタイミングだ。そして掲げたスローガンは、「建築学とデザイン力の融合に向けて」である。

僕のなかではずっと温めてきたものです。アーキテクトとエンジニアの協働を大切にしたい、日本から発する一つの文化として世界に伝えたいと。

様々な職能が集まる学会なら、力を伴って発信できると思ったのです。ちょうど姉歯事件の後でもあり、建築が本来持っている魅力や役割を我々自身が共有する必要があったし、同時に建築を社会に向けたかった。
理事会にアーキニアリングという言葉を出した時は「そんなの聞いたことがない」と、理解されるまでに時間がかかった。でも、任期は2年しかない。待っていられないので、間口の広い「建築デザイン発表会」を立ち上げたり、協賛金を集めたりと動いたんです。そのなかで実現した代表的な企画が「アーキニアリング・デザイン展」。08年に開催した初回から盛況で、子供から専門家まで来場者はとても楽しんでくれた。全国10カ所での巡回展の後、台湾、中国での開催にも発展しました。そこから毎年、今も続いているので、一つ〝見えるかたち〞は残せたかなと。

やっぱり建築学会が持つ力はすごくて、こういう旗を揚げると皆が集まってくれる。展示のメインコンテンツである多くの建築模型づくりでは、学生たちが協力してくれました。皆がフラットな関係でいられるニュートラルな場って本当に貴重だし、ここから力が生まれることを実感しましたね。

斎藤が立ち上げた「空間構造デザイン研究室(LSS)」は、これまでに約1200名の卒業生を送り出している。いたるところで活躍する人材は、業界にとっても研究室にとっても宝である。また特筆すべきは、今も教え子の教授たちによって研究室が同じ名称で引き継がれていることだ。極めて稀なケースで、そこには、もとより自分の名前を冠さなかった斎藤の信念が映し出されている。そして現在、斎藤は新たに設けられた「A-Forum(アーキニアリング・デザインフォーラム)」に本拠地を移し、活動を展開している。

集合写真

本取材は、2018年8月、東京・御茶ノ水にあるA-Forumで行われた。斎藤氏からの「撮影があるのでみんな集合!」の一声で、建築設計界で活躍する気鋭の教え子たちが集まってくれ、「空間構造デザイン研究室(LSS)」の院生と一緒に集合写真をパチリ

名前のとおり、ANDの理念の実現と構造設計・デザインに関心を抱く人々が自由に集い、活用してもらうための場。まさに奇跡というべきこの空間・時間の提供を受けられたこと、心より感謝しています。タイムリーな研究会やフォーラムなども行っていますが、会費を伴わないフレンド組織で、メンバーは700名くらいに増えているでしょうか。時には組織や業界では言いにくいことも出し合い、前向きにやるにはどうしたらいいか、皆で知恵を絞ったり。で、集まりの後は決まって飲み会を楽しむわけです(笑)。

今年の5月に建築学会大賞をいただいて、僕はまた新たなスタートを切ったと捉えています。これからは、AForumや講演の場などを通じて、やっと社会貢献というか、恩返しができそうだと。さらにアクティブに、業界や社会に向けた発信をしていかねばと考えているところです。例えば、人材を育てる環境をよくしていきたいし、今後の日本の建築を考えればもっと自由な空気がほしい。歴史を見ても、何か黒船が来ないと動かない日本は、ある意味、非常に後進国なんですよ。

僕はね、今でもザハの新国立競技場案が突然に白紙撤回されたのが残念でならないのです。結果違うかたちになったとしても、日本の財布なり制約条件のなかで魅力的なものをつくる議論すらできなかったことが悔しい。何らかのかたちで実現していたら新しい空気が流れて、業界はもっと活性化したと思います。

今の建築基準法に象徴されるような大きな足かせは、いろんな面で若い人の力を失わせる。昨今の中国の馬力を見ていると、危機感を覚えます。法律をはじめとする問題は様々あって、全部急激かつ根本から変えるのは無理でしょうが、できるところから取り組んでいきたいですね。業界をもっと元気にしていくために、僕が授かってきた経験や力が役立つのであれば、こんなにうれしいことはないですから。

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PROFILE

斎藤公男

斎藤公男

1938.5.29   群馬県前橋市生まれ
1961.3         日本大学理工学部建築学科卒業
1963.3         日本大学大学院理工学研究科
博士前期課程建築学専攻修了
1973.4         日本大学理工学部建築学科助教授
1991.4         日本大学理工学部建築学科教授
2007.6        第50代 日本建築学会会長
2008.4       日本大学名誉教授

主な受賞

日本建築学会賞/業績 (1986年)、
松井源吾賞( 1993年)、 Tsuboi Award( 1997年)、
Pioneer Award( 2002年)、
BCS賞( 1978年、1993年、2003,年、2004年)、
日本建築学会作品選奨(2003年)、
Aluprogetto Award 1st prize( 2006年)、
日本建築学会賞 /教育分野(2007年)、
IASS Torroja Medal( 2009年)、
日本建築学会大賞(2018年)ほか多数

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