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Architect's magazine

日本には、構造家と建築家が<br/>コラボレーションする土壌がある。<br/>ここをもっと大事に育てていけば、<br/>「 建築デザインの、もう一つの<br/>本質的な意味」を世界に発信できると思う

日本には、構造家と建築家が
コラボレーションする土壌がある。
ここをもっと大事に育てていけば、
「 建築デザインの、もう一つの
本質的な意味」を世界に発信できると思う

斎藤公男

斎藤公男は、多彩な顔を持つ。手がけてきた作品はいずれも進取の気性に富み、研究者、そして教育者としても建築界の第一線を走り続けている。
1978年、自身の出世作ともなった「ファラデーホール」で考案した〝日本発〞の張弦梁構造、これを昇華させたハイブリッド構造は、今や広く世界に認知され息づいている。また斎藤は、アーキテクチャーとエンジニアリングデザインの融合概念である「アーキニアリング・デザイン」の提唱者でもある。
常に業界に波を起こし、数多くの有能な人材を輩出してきた功績は大きい。大切にしてきたテーマ「研究・教育・設計の融合」は、斎藤の生き方、人生そのものを象徴している。

志向は文系、性分は理系。

双方を生かす道として、建築学科を選択

 

斎藤は、美しい山景を湛える群馬県前橋市で生まれ育った。豊かな自然の下で大好きなスポーツに熱中し、一方では演劇や映画などにも心を寄せていた。親からよく言い聞かされていたのは「文武両道であれ」。斎藤が志向するハイブリッド性の根っこは、すでに少年時代から見え隠れしている。

親父はいわゆるやり手で、とにかく起業好き。生糸の商いに始まり、20ほど事業を興したでしょうか。雲行きが怪しくなるスパッと転業し、時代を読みながら生きることに長けていました。加えて弓の大家でもあり、趣味ながら家に道場を設えていたで、いつも大勢の人が出入りをする非常にオープンな家庭だったんです。商売のアクティブな世界と、弓がもたらす美しく静な世界。幼い頃から、僕の周りにはこの両方があり、結果的にいろんな意味で影響を受けたと思いますね。

体を動かすのが好きで、わけても熱中したのは軟式テニス。子供の頃は体が大きいほうだったので、スポーツ少年というか、ちょっと親分的な感じ(笑)。一方で絵を描いたり、文章を綴ったりするのも好きで、映画もたくさん観てきました。勢い勉強も文系志向だったから、僕はそっち方面に進むの思っていたんですよ。

でも、大学進学を考えた時に迷いまして。僕はコツコツ型というのか、努力を重ねて何かを自分のものにすることに喜びを感じるんですね。感覚的なものに惹かれながらも、性格は理系だと自覚したあたりから、さてどうしようかと。そんな高校2年の終わり頃、ある先生が「建築なら文理両方できるよ」と教えてくれたのです。表現活動と計算や理詰めでモノを考えていくこと、この両方に携われる分野だと聞いて、興味を持ったというわけです。

斎藤の場合、何か建物や著名な建築家に憧れてというのではなく、〝文理両方〞がカギとなっての進路選択だった。
進学したのは、特待生として受験合格した日本大学の建築学科。結果的には「人脈パワーやたくさんの友達を得られた最高の場」となったが、入学後しばらく、斎藤は自ら望んだ〝両方〞の狭間で悩み続けることになる。

トータルとしての建築は確かに文理融合ですが、実際には専門領域が存在するわけで、研究室をどこか選ばなくちゃいけない。僕は好奇心が強いから、意匠、歴史、構造系といろんな研究室に出入りしていたのですが、4年の新学期を迎える段になっても先を決められず……。行き着いたのは、高名な構造家である坪井善勝先生の研究室。当時、先生は東京大学の生産技術研究所で活動しながら日大でも研究指導を行っており、丹下健三さんと組んで華々しい活躍をされていました。その坪井研に入れば、構造とデザインの両方を勉強できるのでは、と思ったのです。

ところが、入ってみると微分積分ばかり(笑)。数学があまり得意じゃない僕は困ったなぁと。相変わらず構造とデザインを勉強したいと思っていたから、卒研テーマも絞り切れなかった。

そうしたら、坪井先生が「そういう変なヤツのために取っておいたテーマがある」と言う。それが「鉄骨大架構の文献的研究」、バックミンスター・フラーに関する研究でした。この頃、坪井先生は「晴海ドーム」において、シェル構造をコンクリートではなく鉄骨でつくるという画期的な方法に挑戦、実現し、世界から注目されていたんですけど、「似たようなことをするアメリカの構造家」フラーの存在が気になっていたのでしょう。つまりは「あいつの正体を探れ」というわけです。

そこから僕は鉄骨ドームをテーマにし、一人でフラーの「ジオテック・ドーム」の模型づくりに励みました。ひと夏かけて完成させたところ、先生は見て一言、「やっぱり、俺の晴海ドームのほうがきれいだな」。僕の卒研は、それでおしまいですよ(笑)。坪井先生は合理的なこともさることながら、美しさに対して非常に強い欲求を持っていらした。解析にしても何にしても「物事を美しくまとめる」――これは、今も僕の心に残る最大の教えです。

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構造デザインの原点に触れ、早くから重ねた実践が財産に

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PROFILE

斎藤公男

斎藤公男

1938.5.29   群馬県前橋市生まれ
1961.3         日本大学理工学部建築学科卒業
1963.3         日本大学大学院理工学研究科
博士前期課程建築学専攻修了
1973.4         日本大学理工学部建築学科助教授
1991.4         日本大学理工学部建築学科教授
2007.6        第50代 日本建築学会会長
2008.4       日本大学名誉教授

主な受賞

日本建築学会賞/業績 (1986年)、
松井源吾賞( 1993年)、 Tsuboi Award( 1997年)、
Pioneer Award( 2002年)、
BCS賞( 1978年、1993年、2003,年、2004年)、
日本建築学会作品選奨(2003年)、
Aluprogetto Award 1st prize( 2006年)、
日本建築学会賞 /教育分野(2007年)、
IASS Torroja Medal( 2009年)、
日本建築学会大賞(2018年)ほか多数

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