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Architect's magazine

広く建築や都市、そして人々と真正面から向き合っていく。未来のために職能を生かすのが僕たち建築家の役割なのだから

広く建築や都市、そして人々と真正面から向き合っていく。未来のために職能を生かすのが僕たち建築家の役割なのだから

迫 慶一郎

「中国で最も活躍する建築家の一人」。多くのメディアは、迫慶一郎をそう称する。事実、迫がこれまで手がけたプロジェクトの8割以上は、中国での仕事が占める。それも、都市のランドマークになるような巨大プロジェクトばかりだ。現在は北京、東京、福岡の3拠点に事務所を構え、ロシアや中東などからもオファーが舞い込んでいる。44歳と、業界にあっては若手ながら、世界に羽ばたく様は華々しい。しかしその裏側には、すさまじい働きと、どのような逆境にも屈しない〝挑み〞の連続がある。「建築家の本分は社会に貢献し、未来をつくること」。そう言い切る迫は、今、建築家という枠を超えて、震災による被災地復興や、企業のブランディングも手がけるなど、マルチな活動に精力を注ぎ込む。常に全力疾走――それが、迫の生き方だ。

意中の師匠に就き、トレーニングを積む。鍛えられ、開花した才

 
 ヨット部の活動に熱中しながらも、そこは迫、学業にも力を発揮している。建築デザインを志向していたことから、設計課題にはことさら熱心に臨み、高い評価を受けていた。4年の時、建築デザインを目指す学生たちが最も憧れていた、坂本一成教授の研究室に所属する切符を手にし、そのまま大学院に進学。ここから迫は、建築家としての基礎を鍛え上げていく。

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実家の庭とつながる白水池(しろうずいけ)の水面。少年時代の遊び場であり、原風景のひとつ

 坂本研究室には、院生なのに建築デザイン誌で紹介されているとか、博士課程にある人が実際に住宅を設計して発表しているとか、とにかくすごくて、ほかの研究室は眼中になかった。だから入れた時は、嬉しかったですね。もちろん、厳しい研究室ではありました。初日に会があって、新人たちはそれまでに取り組んだ設計課題をみんなに説明するのですが、まず、こてんぱんにやられる。コンセプトを語るのなら、人を納得させる鋭い切り口や、新しい発見がなければ面白くないと。出している課題は、それなりに評価を受けたものだから、こっちとしては「どうだ」くらいの気持ちでいるのに、プライドは木っ端みじん(笑)。でも、言われたことには、それこそ納得がいく。意識の高い人たちが集まっていました。

 坂本先生は実務家でもあり、学生たちと一緒にコンペ作品をつくるんですけど、僕らはM1の時に3回も参加させてもらって、これも貴重な経験になりました。坂本先生に直接教わったことに加え、すごいなぁと思う先輩たちのなかで揉まれ、一緒にいられたことは、大きな財産になっています。

 僕は、街を分析対象にして〝新しい街のあり方〞を研究していたのですが、なかでも惚れ込んだのが「緑園都市」を設計した山本理顕さん。そこには街としての相互作用と、持続可能な活気がある。僕がやりたいと考えていたことのど真ん中をやっている人、そのもとで仕事したいと思い、坂本先生に相談したら紹介してくださった。大変な緊張感で、山本さんの事務所に、卒業設計と修士設計を手に面接を受けに行ったのです。すると途中から、作品に対するディスカッションになってきて、「学生がつくったものを、こんなに真剣に見てくれるんだ」と感動ですよ。「合格」とは言われず、「じゃあ来れば」みたいな感じで、山本理顕設計工場に入所できることになったのです。

 最初に「放り込まれた」のは、埼玉県立大学の案件。実施設計すべてを手がける、山本理顕設計工場にとっても大きなプロジェクトで、迫は、入所初っぱなから徹夜続きで仕事をしたが、「それでも楽しくてしょうがなかった」。新人でも力があれば、どんどん仕事を任せる〝山本理顕流〞のもと、迫はさらに鍛えられていった。

 もう必死で仕事をしているさなか、新しいコンペの話が来たんです。広島市西消防署です。ほかに錚々たる建築家が招かれているなか、山本さんは、大学院出たての僕にコンペのプロジェクトリーダーをやらせた。通常、考えられないことですが、山本さんは「経験じゃない。いかに責任を持って臨むか、その気持ちで判断する」という方。僕にとっては大変なチャンスだし、事務所の看板に泥を塗るわけにはいかない。とにかく全力で当たろうと。ちなみに、山本さんには一切の妥協がなく、打ち合わせをしていても変更は日常茶飯事。僕はいつでも仕事ができるよう机の下で寝ていました。

 結果、運良くコンペに勝つことができたんですけど、そこからがまた大変。広島に詰めてから、現場事務所でどれほどケンカしたか。ゼネコントップを相手にやったり、親くらいの年の施工会社の人とも。会話ひとつで、簡単に数十万、数百万円のプラスマイナスが出るような世界での攻防です。でも若造とはいえ、事務所の作品として責任を担っているのだから、引くわけにはいかない。言い訳もできない。建築って、お披露目をする時には華やかだけれど、何年にも及ぶ小さな積み重ねがあってこそ完成する。地道にやること、そして、すべての場面において最善の効果を生む交渉や判断が必要であることを学びました。今、僕がうちのスタッフに、いつも言っていることです。

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人生最大のチャンスをくれた国、中国との出合い。そして格闘

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PROFILE

迫 慶一郎

迫 慶一郎

1970年7月16日 福岡県福岡市生まれ
1996年3月   東京工業大学大学院
理工学研究科建築学専攻修了
1996年 4月   山本理顕設計工場入所
2004年2月   SAKO建築設計工社設立
2004年9月   米国コロンビア大学客員研究員、
文化庁派遣芸術家在外研修員
(~2005年)

主な受賞歴

<2013年>
蔵前ベンチャー賞
<2012年>
GOOD DESIGN IS GOOD BUSINESS
China Awards 2012(中国)
<2010年>
2009-2010年度国際設計芸術成就賞(中国)
<2009年>
Euro Shop Retail Design Award 2009
One of Three Best Stores Worldwide
<2008年>
グッドデザイン賞
現代装飾国際メディアプライズ2007(中国)
ベストデザイナー賞
ほか、JCDデザインアワード(2004年より11年連続)
など多数

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