アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

建築は、人々の生活や社会を 変える力を持っている。 その力を託される建築家は、 真摯に人と向き合うべきである

建築は、人々の生活や社会を 変える力を持っている。 その力を託される建築家は、 真摯に人と向き合うべきである

手塚貴晴

 独立して、現在の「手塚建築研究所」を立ち上げたのは、ちょうど30歳の時。以来、手塚貴晴は、パートナーである手塚由比氏とともに意欲的な建築を世に送り出し、その活動の幅を広げてきた。OECD(世界経済協力機構)とUNESCOにより、世界で最も優れた学校に選ばれた「ふじようちえん」をはじめ、代表作に「屋根の家」「越後松之山『森の学校』キョロロ」「渋谷フクラス」などがある。設計ジャンルが何であれ、人間にとっての心地よさを本質的に追求した作品群は、いずれも大きなインパクトを放つ。「建築は人々の生活や社会を変える力を持っている」――そう確信した日から、手塚は建築を手段として、世の中を〝素敵〞にするために走り続けている。

建築が身近にある家で育ち、大学入学後にその才が顕在化する

 父親が鹿島建設に勤めていたことから、手塚は膨大な建築雑誌や模型に囲まれて育った。生まれた時からアーキテクトに縁のある環境で、客観的に見れば、この道を選んだのは至極当然の流れだが、手塚自身が才に目覚めるのは、まだ少し先の話である。

 なかでも『SD』に関しては、父が立ち上げにかかわったので、家には創刊号からすべてそろっていました。また、父が設計チーフを務めた「昭和新宮殿」の図面や配置図なんかもあったりして、それが面白く、漠然とながらも強い印象を受けたのは確かです。そういう環境がごくごく自然にあった。建築をやれと言われたことは一度もありませんが、今思えば、父は静かなアピールを続けていたのかもしれません。

基本的に、私に関しては放任だったんですよ。というのも、親は障害を持つ兄貴の世話で手一杯だったから。夏休みになると、私はボーイスカウトに放り込まれ……おかげで逞しくなった(笑)。障害についてはネガティブに捉える人もいるでしょうが、私は親が苦労してきたのを知っているし、そのぶん、社会を広く見るようになったから、兄貴がいたからこそ得たものは大きく、今の自分があると思っています。

学校の成績は全般よかったのですが、高校進学を控えた頃、一つだけ赤点を取ってしまって志望校受験が叶わず、意気消沈した時期があったんです。その時、担任が推薦を出してくれたのが武蔵工業大学付属高校で、そのまま大学までです。結局、ちゃんと受験勉強していないんですよ。建築家になるんだ!と夢を描いて、ものすごく勉強したという話でもない。一つ自慢できるとしたら、小学校の卒業文集に「人の役に立つ人間になりたい」と書いていたことでしょうか。後になって友人から「お前は偉いヤツだ」と。あとは、走るのが速いとか、子供の頃から強かった相撲ですかね(笑)。

 手塚曰く「自分が何者かに気づいた」のは、武蔵工業大学(現東京都市大学)に進学してからだ。建築の勉強が難しいと感じたことはまったくなく、多くの学生が徹夜で取り組むような課題も「すぐにできちゃう」。ここにきてようやく、建築家への道が顕在化する。

 建築に向いている、そして、自分がすごく恵まれた環境にあったことに初めて気づいたわけです。英才教育など受けていないのに、幼い頃に見聞きしたことが頭や体に染み付いていたのでしょう。パースを引くにしても、何も教わっていないのに「なんで描けるんだろう?」という感じ。課題も人よりうんと早くできるものだから、建築に関しては有利だと自覚できたし、ありがたいことだと思いましたね。

在学中、私にとって大きな存在だったのは広瀬鎌二さん。鉄骨を使ったSHシリーズの住宅が有名ですが、日本の現代建築に高い事跡を残された方で、広瀬さんからは多くの建築技法を学びました。広瀬研究室には入らなかったんですけど、理由は広瀬さんのコピーになっちゃうと思ったから。フランク・ロイド・ライトに師事したら、何をやっても彼の作品になるみたいな……私にとっては、それほど強い存在でした。

そしてもう一人、新居千秋さんとの出会いは人生を変えるほどに大きかった。何があっても絶対にめげない、正しいと信じることを貫くという強烈なスピリッツの持ち主で、私は間違いなく影響を受けています。

卒業後の留学を勧めてくれたのも新居さんでした。ですが、父は猛反対。というのは、父は大好きな鹿島建設に息子を入れようと考えていたのです。でも、私としては「ここで人生が決まるのはちょっと早すぎる」と思っていたし、そこに留学の話が出てきたものだから、鹿島建設には入らないと。まさか断るとは思っていなかったのでしょう。父は新居さんを半ば呼びつけ、私を留学させるか、させないかで議論ですよ。結果は、弁にかけては右に出る者がいない新居さんに軍配が上がったというわけ(笑)。

本取材は、9月6日(水)、手塚建築研究所のオフィス(東京都世田谷区)で行われた。
現在の所員数は約20名。海外からのインターン生も多い。赤いTシャツの女性が妻の手塚由比氏
【次のページ】
留学、海外勤務を経て、建築の〝本質〞を見いだす

ページ: 1 2 3 4

PROFILE

手塚貴晴

手塚貴晴
Takaharu Tezuka

1964年2月23日 東京都新宿区生まれ
1987年3月 武蔵工業大学(現東京都市大学)
工学部建築学科卒業
1990年6月 ペンシルバニア大学大学院修了
9月 Richard Rogers Partnership London入所
1994年7月 妻・手塚由比と手塚建築企画を共同設立(現手塚建築研究所)
1996年4月 武蔵工業大学専任講師
2003年4月 武蔵工業大学准教授
2009年4月 東京都市大学教授

家族構成=妻、娘1人、息子1人

人気のある記事

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ