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建築は、人々の生活や社会を 変える力を持っている。 その力を託される建築家は、 真摯に人と向き合うべきである

建築は、人々の生活や社会を 変える力を持っている。 その力を託される建築家は、 真摯に人と向き合うべきである

手塚貴晴

 独立して、現在の「手塚建築研究所」を立ち上げたのは、ちょうど30歳の時。以来、手塚貴晴は、パートナーである手塚由比氏とともに意欲的な建築を世に送り出し、その活動の幅を広げてきた。OECD(世界経済協力機構)とUNESCOにより、世界で最も優れた学校に選ばれた「ふじようちえん」をはじめ、代表作に「屋根の家」「越後松之山『森の学校』キョロロ」「渋谷フクラス」などがある。設計ジャンルが何であれ、人間にとっての心地よさを本質的に追求した作品群は、いずれも大きなインパクトを放つ。「建築は人々の生活や社会を変える力を持っている」――そう確信した日から、手塚は建築を手段として、世の中を〝素敵〞にするために走り続けている。

建築が持つ力を確信。人々の行動や生活をテーマの中核に据える

 94年、手塚は由比氏とともに「手塚建築企画」(当時)を設立。独立するきっかけとなったくだんの副島病院は、若手建築家の登竜門とされるSDレビューに入選し、さらにグッドデザイン金賞、日本建築学会作品選奨など、複数の賞を受賞。「世に出る」という意味で、非常に幸先のいいスタートとなった。

 例えば、病室などの患者空間を南側に配置するとか、患者を日差しや外の視線から守るために庇とテラスを設えるとか、すべては「使う人が心地よいと感じられるように」です。従前の病院建築は専門分野化されていて、特に日本はルールも厳しいけれど、難しいとはまったく感じなかったですね。病院に限らず、要は、人の行動や生活をどう理解するかが肝なので。 もとより、常識や決まり事を信用していないんです。つくる側の〝当たり前〞で決まっていることが多いから。自分の感覚を信じて向き合うと「何でこうなっているの?」「こうすればもっとよくなるのに」といった事柄が見えてくる。法律にしても、おかしいと思って動けば助けてくれる人が必ずいるし、変えることだってできます。副島病院は新しい病院建築として評価されましたが、私たちは奇異なことをしているのではなく、ありそうでなかった〝当たり前〞を追求しているのです。

そして、初期において私たちの大きな転換点となったのは、何といっても「屋根の家」。〝そこで起きる出来事〞が建築のテーマになったという意味で画期的だったし、以降につながる原点にもなった作品です。巨大で少し傾斜のある屋根の上でご飯を食べたり、寛いだりといった日常生活を送る家。これは、屋根の上で過ごすことが好きだというクライアント一家の生活スタイルや要望に沿ってつくったものです。

発表した時は賛否両論あったけれど、海外の建築雑誌・メディアなどでは、住宅のビジョンが変わったと多く取り上げられ、私たちにとっても、新しいパラダイムが生まれた仕事でした。オープンハウスを行った時、数時間のうちに450人以上の人が訪問してくれたのですが、何も説明しなくても、皆さんまず屋根の上に上るんですね。まさに、人々の行動を喚起するアフォーダンス。建築には、そういう力があるのだと確信しました。

 以降、多くの作品を通じて、手塚は建築が持つ力を証明し続けている。数多くの賞を受賞した「ふじようちえん」は、子供の動きを喚起する規格外の幼稚園として広く注目された。ほか、住宅はもちろん、医療福祉施設や美術館・博物館など、あらゆるジャンルにおいてインパクトを与えてきた。そして近年では、アーバンデザイナーとしての活動にも意欲的に取り組んでいる。

 渋谷にある「フクラス」という大きな建物を手がけることになった時、決めたのは、都市に閉じた高層ビルは絶対につくらないということ。日本の高層ビルのほとんどは、足元が閉じているでしょう。延焼の問題とかがあって、いろんな決まり事があるから。だから路面店がなく、そういう高層ビルがたくさん建つと街に人がいなくなっちゃう。それを逆転させ、街に賑わいが生まれるよう大変なエネルギーを注いだ仕事です。1階には路面店があり、たくさんの人が行き交う。そして、屋上を使っているのも、高層ビルとしては日本で唯一だろうと思います。

当初はいろんな関係者から「何をバカなことを」と怒られたものです。例えば、高さ100mを超える場所に木を植えるなんて無理、風で全部飛ばされるとか、日本は雨が多いから屋上のレストランなど機能しないとか。そういった一つひとつに対して、「街を楽しくしましょうよ!」とずーっと言い続けてきた(笑)。8年半かかわってきましたが、同じことを言っていると人を巻き込めるというか、周りは変わっていくものです。デザインがすごく洗練されているとは言い難いけれど、フクラスは街に開いた高層ビルとして成功したと思っています。

都市にはもともと興味がありました。留学したペンシルバニア大学は都市計画に強い学校で、授業を勝手に受講していたことが今になって役立っています。あと、都市デザインについては師匠がいて、渋谷の賑わいをつくった浜野安宏さん。若い頃からご縁があり、「社会に対して開いている街づくり」の大切さを教わってきました。建築家は、きれいなピロティばかりつくっていちゃダメなんだという話です。

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PROFILE

手塚貴晴

手塚貴晴
Takaharu Tezuka

1964年2月23日 東京都新宿区生まれ
1987年3月 武蔵工業大学(現東京都市大学)
工学部建築学科卒業
1990年6月 ペンシルバニア大学大学院修了
9月 Richard Rogers Partnership London入所
1994年7月 妻・手塚由比と手塚建築企画を共同設立(現手塚建築研究所)
1996年4月 武蔵工業大学専任講師
2003年4月 武蔵工業大学准教授
2009年4月 東京都市大学教授

家族構成=妻、娘1人、息子1人

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