アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

MAGAZINE TOP > 建築家の肖像 > 隈研吾建築都市設計事務所 隈研吾

建築は長期戦。社会とラリーを続けていくうちに信頼され、任され、本当に面白いものがつくれるようになる

建築は長期戦。社会とラリーを続けていくうちに信頼され、任され、本当に面白いものがつくれるようになる

隈研吾建築都市設計事務所 隈研吾

「那珂川町馬頭広重美術館」(栃木)、「根津美術館」(東京)、「竹屋」(中国)、「ブザンソン芸術文化センター」(フランス)などに加え、昨年、10年の歳月を要して蘇った東京の新しい歌舞伎座。隈研吾の代表作は、国内はもとより世界中のいたるところに存在する。80年代後半、切れ味鋭い建築批評で名を知らしめた隈は、以降、建築家として常に時代の先端を駆け抜けてきた。時に陥った迷いや挫折は肥やしに変え、今日に至った隈の流儀は〝負ける建築〞。自己主張の強い建築をよしとせず、環境に溶け込む造形をとことん追求する。その実現のため、土地が発する声に耳を傾け、クライアントの意向にも心を砕く。この〝受け身の姿勢〞こそが、隈の心髄なのである。

「隈研吾を超える建築」を標榜し、今日も世界を駆けめぐる

地方での仕事の集大成は、2000年に完成した「那珂川町馬頭広重美術館」。この頃から「これが僕のスタイルだと、胸を張って言えるようになった」。冒頭で触れた〝負ける建築〞だ。再び東京の前線に復帰した隈は、次々とプロジェクトに駆り出され、その高い評価は作品群が証明している。そして、隈の名前を世界に知らしめる代表作となったのが、万里の長城の麓に建つヴィラ「竹屋」だ。

敷地の山を、施主と視察していた時、「今日から半年くらいで完成させろ」って言うからびっくりしました(笑)。万里の長城のあんな場所につくること自体が大変だし、施工会社だって竹素材の扱いに慣れていないから、結局、設計も合わせると3年以上かかっています。でも、どんな条件提示でも怒らずに、まず「努力してみます」と言ってみることがコツなの(笑)。ポジティブに向き合うことが大事で、「なにシロウトが非常識なことを」と高圧的に出ると、絶対にうまくいきません。特に中国は、信頼社会なので、一緒に走って、信頼関係を築きながら条件整理を進めていくという感じですね。

僕は、中国に建っている超高層ビルに対する批判として「竹屋」をつくったのです。結果、対極となった素朴さが受け入れられたわけですが、予想外でした。これも『10宅論』の時と同じで、思い切って批評をぶつけてみたら、ちゃんと答えが返ってきて、さらに信頼関係が強くなったわけです。以降、中国では常にプロジェクトが動いていますが、僕にとっては心地いい環境です。建築の価値をわかってくれるというか、「作品が好きだから」とシンプルに依頼してくれる。日本だと様々なしがらみがあるし、隈研吾の名前だけが欲しいプロジェクトがたくさんあるから。仕事を受ける基準は、「今までの隈研吾を超える建築を」と思ってくれているか。僕は、そんな人たちと仕事がしたいのです。

追って、ヨーロッパにおいても大型コンペに勝利し、現在はパリと北京に海外事務所を展開する。走っている案件は、常時50〜60。海外6割、日本4割という比率だ。事務所を立ち上げた時は数名だったスタッフも、今は100名を超える。1年の半分以上は海外を駆けめぐりながら、他方、東京大学教授として教育にも力を注ぐ隈の生活は、当然のごとく多忙を極める。それはまるで、命の限界に挑むかのような日々だ。

ある程度の規模になると、「小さい仕事はやらないほうがいい」という事務所が多いでしょ。確かに、維持のためにはそれも重要なことです。でも、本当に面白いものって、小さな仕事だったりする。それを断っていくと、会社の士気が落ちるんですよ。小さい仕事って、若い連中にも〝任される〞チャンスだから、やりがいになる。だから、うちは予算規模は全然考えないし、路線を決めることもしていません。

その時の自分が、当事者として関心を持てるかどうか。これは重要なファクターです。僕の場合、今だったら福祉施設が面白そうだなと。少子高齢化は進むし、自分がお世話になる日も近いから〝俺の問題〞だとも思えるし、いい施設がないのなら自分でやってみたい。そういう軸があれば、どんなに小さな仕事でも楽しめるんですよ。

我々の仕事は、例えればテニスみたいなもので、玉が飛んできたら、それを打ち返せばいいんです。できる範囲でベストの玉を打ち返すだけ。激しいラリーの最中に、ゲーム全体のプランなんて、スポーツ選手は考えないでしょ。まずはラリーを続けないと話にならない。建築は長期戦です。社会とラリーを続けていくうちに信頼され、任され、本当に面白いものがつくれるようになるのです。だから、若い人たちにはラリーで汗をかき続け、それを楽しむ根気強さと、そこでのストレスに負けないおおらかさを、ぜひ持ってほしい。そして、何よりも建築を楽しむということ。振り返れば、僕はずっとそうしてきたように思うんです。

ページ: 1 2 3 4

PROFILE

隈 研吾

隈 研吾

1954年8月8日 横浜市港北区生まれ
1979年3月   東京大学大学院工学部 建築意匠専攻修了
1985年6月   コロンビア大学建築・都市計画学科の客員研究員として渡米
1986年    帰国後、空間研究所設立
1990年    隈研吾建築都市設計事務所設立
2008年    フランス・パリにKuma &Associates Europe設立
2009年4月   東京大学工学部建築学科教授に 就任(現任)

主な受賞歴

●日本建築学会賞作品賞(1997年)
●村野藤吾賞(2001年)
●フランス芸術文化勲章オフィシエ(2009年)
●毎日芸術賞(2010年)
●芸術選奨文部科学大臣賞(2011年)
ほか多数

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ