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建築家として活動する以上、その建物、場所に長くかかわる覚悟を持ってほしい。流れる時間に対して責任を持つのも大切なこと

建築家として活動する以上、その建物、場所に長くかかわる覚悟を持ってほしい。流れる時間に対して責任を持つのも大切なこと

篠原聡子

 プロフェッサー・アーキテクトとして長いキャリアを有する篠原聡子は、一貫して「住むこと」に携わってきた。設計活動はもちろん、国内外における集合住宅の調査・研究を重ねており、その見識はとても深い。代表作の一つ「SHAREyaraicho」は、新築シェアハウスの先駆けであり、住まうことに新しい選択肢を示した。
「住宅とは本来、社会的な空間を内包するもの」とし、常に意識しているのは社会との接点をデザインすることだ。
そして現在は、自身の母校である日本女子大学の学長として、次代の育成と、そのための環境づくりにも力を尽くす。何役もの重責を担いながらも、〝篠原のデザイン〞は常にチャレンジングだ。

原点は「住まい」。デザインに興味を覚え、建築家を目指すように

  出身は千葉県東金市。篠原家も周りも皆農家という環境で「田んぼや畑に囲まれて、農家の生活のなかで育ちました」。好奇心旺盛だった篠原は、どこかに出かけることが大好きで、遠縁や分家がいる離れた村によく泊まりに行っていたという。

 私用の茶碗とお箸のセットがあちこちにあったぐらい。子供心に旅気分だったのでしょう、周りからは「旅がらす」と呼ばれていました(笑)。今も何かと調査旅行に出ますが、まさに「三つ子の魂百まで」、やっぱり出かけるのが大好き。住んでいたのは築130年くらいの古い家なんですけど、農家の土間空間って、いわば大きなエントランスホールみたいなもの。農繁期になると皆がワーッと集まってきて、ここで一緒にご飯を食べたり、作業をしたり……老若男女が集まって様々に使われている空間の感じ、それが家に対して私が持っている原風景なんです。

「住宅」というものを明確に意識するようになったのは、高校生になってから。東金の郊外に新しい住宅街があって、ある日、そのエリアに住む友達の家に遊びに行ったのですが、あまりの違いに衝撃を受けました。まず白い外壁でしょう、そして竈ではなくダイニングキッチンがあり、ベッドもある!近代に出合ったわけです(笑)。そもそも住まいは継ぐもので、一代一代でつくるものじゃないと思っていたから驚きでした。「住宅って、自分たちに合わせてつくっていいんだ」と。通っていた東金高校(当時は女子高)の家庭科には住居に関する授業があって、間取りを描いたりしていたんですけど、友達の家で体感したことと相まって、すごく興味を覚えるようになりました。建築との出合いというより、私の原点は、やはり住まいなのだと思います。

 絵を描くのが好きだったのに加え、どちらかといえば理系。住宅の計画やデザインに惹かれていた篠原は、高校2年の頃には、日本女子大学の住居学科に進むと決めていたそうだ。高校時代も含めた女子校生活は「ある種ジェンダーフリーの環境だから、何の抑圧もなく伸び伸びと過ごせました」。

 ただ、入学してしばらくは大変でしたね。新入生歓迎会の場だったか、背筋をスッと伸ばした先生方に「皆さん、入学おめでとう。でも、これからが大変よ。ご愁傷様」って言われたんですけど、本当にそのとおり。製図の基礎を徹底的にたたき込まれ、最初の夏休みは課題漬けでした。ほかの学問と違って、建築は何の下地もないところからのスタートでしょう。まずはトレーニングが必要なわけです。今はパソコンですが、当時は「一本の鉛筆で5種類の線を引きなさい」みたいな感じ。あの頃には戻りたくないですよ(笑)。設計に入ってからも大変だったけれど、それでも手を動かして、自分の考えを何かしらのかたちにするのは面白く、私は好きでした。大きな課題がある時は皆で集まって、時間を忘れて夢中になったものです。

変わらず、旅には出ていましたね。卒業論文は、茶室の意匠研究をテーマにしていたので、なかでも京都には何度も通って、有名な茶室の〝実物〞を見て回りました。高校生の頃からお茶をやっていたから茶室は身近な存在で、住居にも通じる面白さを感じていたのです。花を生けたり、軸を掛けたり、お点前をしたりして、客人をもてなす。茶室というのはある意味装置的で、そこで行われる人と空間、人と建築とのやりとりが面白いんですよ。

大学院に進んでからはその延長で、吉田五十八の近代数寄屋の作品の研究をしましたが、日本の伝統的な意匠から学べるものは多いです。建築をやるうえで、「こうあるべき」「こうありたい」といった私のディテールへのこだわりは、これらの研究を通じて培われたように思います。

本取材は、篠原氏が主宰する空間研究所(東京・新宿区)の本社オフィスで行われた。スタッフ4名+パートナー
建築家という、少数精鋭の布陣で設計・デザイン業務を進めている
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設計の道で生きていく。大学院で学びを深め、28歳の時に独立

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PROFILE

篠原聡子

篠原聡子
Satoko Shinohara

1958年9月3日 千葉県東金市生まれ
1981年3月 日本女子大学家政学部 住居学科卒業
1983年3月 日本女子大学大学院 修士課程修了
4月 香山アトリエ入所
1986年5月 空間研究所設立
1997年4月 日本女子大学 住居学科専任講師
2001年4月 日本女子大学 住居学科助教授
2010年4月 日本女子大学住居学科教授
2013年4月 日本建築学会建築雑誌 編集長(~15年)
2014年6月 野村不動産 ホールディングス株式会社 社外取締役(~20年)
2020年5月 日本女子大学学長
家族構成=夫、息子1人

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