アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

建築家として活動する以上、その建物、場所に長くかかわる覚悟を持ってほしい。流れる時間に対して責任を持つのも大切なこと

建築家として活動する以上、その建物、場所に長くかかわる覚悟を持ってほしい。流れる時間に対して責任を持つのも大切なこと

篠原聡子

 プロフェッサー・アーキテクトとして長いキャリアを有する篠原聡子は、一貫して「住むこと」に携わってきた。設計活動はもちろん、国内外における集合住宅の調査・研究を重ねており、その見識はとても深い。代表作の一つ「SHAREyaraicho」は、新築シェアハウスの先駆けであり、住まうことに新しい選択肢を示した。
「住宅とは本来、社会的な空間を内包するもの」とし、常に意識しているのは社会との接点をデザインすることだ。
そして現在は、自身の母校である日本女子大学の学長として、次代の育成と、そのための環境づくりにも力を尽くす。何役もの重責を担いながらも、〝篠原のデザイン〞は常にチャレンジングだ。

複数の重責を担いつつ、日々精力的にチャレンジを続ける

 20年、篠原は日本女子大学学長に就任。就任後も引き続き、創立120周年記念事業の建築部門を兼務しており、キャンパスの再整備や新学部の開設に向けてダイナミックな改革に踏み出している。同大学では従前、実務家教員が学長になった例はなく、それだけに篠原に寄せられる期待は大きい。

 そういうつもりはなかったのですが、いろんな経緯があって(笑)。大学の教員になって多くの学生と出会い、調査・研究活動を続け、建築家としての私はそれらを通じて多くの気づきを得ました。大学に対して、すごく大きなチャンスを与えてもらったという思いがあるから、おこがましいけれど、恩返しでやってみようと。次の世代の人たちに環境をつくるというのも、これもまたデザイン。実際、学長業は建築に共通するものが多くあると思っています。プロジェクトを推進する際には様々な与条件を整理し、関係者の協力を仰ぎ、アイデアを実現していくという点では似ています。実務家教員が学長になった前例が本学にはないので、このタイミングで私が就任したのは、そういう仕事をしなさい、ということだと認識しています。

昨年の春には、目白にキャンパスを統合して全学共通の基盤教育の充実を図り、20年に設置された「社会連携教育センター」では、企業からの寄付講座を設けたりもしています。学部についてもいくつか再編があるんですけど、24年度には建築デザイン学部(仮称)の設置を構想中で、これは、私自身が学んだ家政学部住居学科を学部として独立させるもの。人の生活や、人を取り巻く環境を重視するという教育は変わらず柱に据え、より広い視点で建築というものを捉えていくために学部化すべきだと考えました。

伝統校ほど変革には大きなエネルギーが必要になるものです。これまでのおよそ30年間、動きがなかったですからね、今やっと少しずつです。大学の先生の集団って、基本的には〝商店主の集まり〞だから、ヒエラルキーがあるようでないんですよ。だから、組織として動かすのは難しいとも感じています。まずは、関係者たちに「変わらなきゃいけない」と思ってもらえるようにすること、それが肝。皆それぞれの多様性を内包しているのが大学のよさではあるけれど、一方で、皆で一緒に荷物を持ち上げなきゃいけない時もある。「せーの!」で持ち上げる瞬間をどうつくるか――私の仕事だと思っています。当然、変わりたくない人たち
もいるから、毎日が近隣説明会みたいな感じですね(笑)。

 学長の任期はあと2年。現在の篠原は、ソフト、ハードともに再編の青図を描くことを使命とし、日々の八割方を学長業に充てている。一方では教鞭も執り、また、事務所では設計活動も続けと、文字どおり多忙な毎日である。しかしながら、「いろんな役割は、私のなかではすべて連続的なデザインで、違うことをしているという感覚はない」と、篠原はことのほか軽やかだ。

 結局、私のテーマや伝えたいことはずっと変わらないから。根底には「人と人」「人と場所」「人と環境」の関係を調整する装置としての住居をいかにして設計するか――という問いがあるんです。ややもすると、建築って隔離するほうが得意でしょう。壁や塀を建ててね。でも、竪穴式住居みたいな閉鎖的なものから次第に発展してきて、住居は外部とつながる調整機能を持ってきたはずなので、やはり社会的な空間を内包するものだと考えています。人間の住まいが巣と違うとすれば、それは接客機能に見られるような社会性だとする論もあります。常に実現できるわけではないけれど、私は建築をつくる時、社会との接点をきちんとデザインすることを常に意識してきました。

授業でも、単なる知識としてではなく、様々な事例を交えながら私の考えを伝え続けています。もちろん、私とは違う見方もあるでしょうが、やっぱり思わないことは教えられません。そして建築家として活動する以上、その建物、場所に長くかかわる覚悟を持ってほしいと思いますね。「引き渡しておしまい」じゃなく。自分のものではないけれど、それがどうなっていくのか、イメージをちゃんと持つこと。その先の長い時間に対しても、責任を持つといった覚悟は重要だと思うのです。

最近、木造建築に携わって、こと年月を意識するようになりました。木造建築物の多くは、マイナーチェンジを繰り返しながら様々な変化に耐えてきていて、そこに長生きの秘訣がある。そのまま残すか、壊すかではなく、その都度〝いいかたち〞に変えていく。これからは「シェア」と「木」をテーマに、そんな仕事をしたいと考えています。あとは田舎で何かつくりたいなと。リタイアメント・コミュニティじゃないですけど、自分たちが最後まで楽しく、愉快に生きられるような大きな家を(笑)。いずれにしても、時代を見据えながら「住まう」の新しいかたちにチャレンジしていきたいですね。

ページ: 1 2 3 4

PROFILE

篠原聡子

篠原聡子
Satoko Shinohara

1958年9月3日 千葉県東金市生まれ
1981年3月 日本女子大学家政学部 住居学科卒業
1983年3月 日本女子大学大学院 修士課程修了
4月 香山アトリエ入所
1986年5月 空間研究所設立
1997年4月 日本女子大学 住居学科専任講師
2001年4月 日本女子大学 住居学科助教授
2010年4月 日本女子大学住居学科教授
2013年4月 日本建築学会建築雑誌 編集長(~15年)
2014年6月 野村不動産 ホールディングス株式会社 社外取締役(~20年)
2020年5月 日本女子大学学長
家族構成=夫、息子1人

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ