主役はあくまでも建物が建つ場所や使う人で、建築家は脇役。主役との関係性のデザインを追究し、最適解を出すことが我々の職務である。
中村拓志
処女作「ランバン・ブティック銀座店」、「東急プラザ表参道原宿」「リボンチャペル」などの作品で知られ、数々の受賞歴を持つ中村拓志は、まさに若手建築家におけるトップランナーだ。手がけた作品はどれも強烈な印象を残すが、特徴的なのは、一つとして同じテイストを持たないことである。中村の根源をなすのは、地域の固有性や利用者にとことん寄り添う姿勢であり、だからこそ常に〝そこにしかないもの〞が生まれる。「主役はあくまでも建物が建つ場所や使う人。建築家は脇役である」――こう明言するように、中村は作家性に基づいた建築を是としない。主役との関係性のデザインを追究し、最適解を導き出すことが建築家の職務であると考えている。
早くから憧れていた建築家。自ら動き、学び、一本道を進む
地域経済学の学者である父親の転任に伴い、居住地を転々とした中村が「一番自然に親しんだ」のは、小学生時代を過ごした金沢市。野山を駆け回り、伝統的な日本家屋で暮らしを営んだ経験は、今につながっているという。
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親父の実家が京都で、転居した金沢や鎌倉も合わせると、いわゆる古都と馴染みがあったわけです。神社仏閣巡りが好きな親に連れられて、木々や多くの日本建築に触れてきたことは、やはり原体験になっていますね。なかでも覚えているのは、金沢で住んでいた木造・黒瓦の家。まだ寒い春先に、屋根に登って寝そべっていると、黒瓦から伝わってくる熱があったかくて何とも気持ちがいい。庭には松の木があり、向かいには神社がありと、環境的、身体的な心地よさを感じていました。
建築家を職業として意識したのは、小学校高学年の時。日頃から「自分の腕で稼げる人間になりなさい」と言っていた親父が、いつだったか、その道の一つとして建築家を挙げたんですよ。あとは弁護士とか医者とか。僕はもともと、ダンボールハウスや、木の上に隠れ家っぽいスペースをつくったりするのが大好きだったので、関心は自ずと建築家に向いたわけです。好きなことを生業にできるなんて、いいなと。さらに親父の仕事柄、家には町家の保存に関する冊子とかがあって、それを見ていると一層惹かれていった。卒業アルバムに「建築家になりたい」と書いて以来、ほかの職業を考えたことはなく……思い込みに近い感じでしたね。
高校生の時に読んだ本、『安藤忠雄の都市彷徨』も印象的でした。「建築に思想を持たせて世に問う」的なダイナミズムを感じたというか、それまで動物の巣やツリーハウスの延長線上で捉えていた建築とは別の世界があった。一方、時々買っていた『モダンリビング』を見れば、そこには生活に根ざした建築、「坪いくら」のリアルな世界があったりする。いろんな存りようを知るなかで、僕の「建築家になる」という思い込みは〝食べていける職業〞として明確化されたように思います。
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志を胸に、中村は明治大学理工学部に進学。「気ままに遊んでいて、本当に勉強を始めたのは4年から」と言うが、変わらず多くの建築本を耽読し、自主的な研究会を立ち上げるなど、中村は自ら動き、学んでいる。そして、アイデアコンペでは常連的に入賞、早くからその〝才〞は芽吹いていた。
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学部時代は「実践的に学んだ」という感覚です。阪田誠造先生のゼミに入ったんですけど、建築事務所の代表でもあった先生は広く実務に携わっていたので、「社会と対峙してものをつくる」という姿勢から教わった点は多々あります。並行してやっていたのは10人ほどで開く自主研究会。いわゆる印象批評ではなく、基本の〝お題〞は方法論を引き出すこと。建築雑誌に掲載された作品を批評しつつ、作家の方法論を抽出して議論。で、それを自分たち独自の方法論にまで落とし込むのをルールにしていました。仲間も僕も、けっこう力がついたと思いますね。皆、コンペに入賞するようになりましたから。
アイデアコンペへの参加は、ゼミの先輩に触発されたのがきっかけです。やってみたら2回目で入賞して。セントラル硝子が主催するコンペで、テーマは「国会議事堂」でした。僕の案は尖ってはいなかったけれど、「みんなの国会議事堂」と付けた題名のとおり、中央集権的なものではなく、各地域に存在させるネットワーク型の国会議事堂を提案したんです。受賞するとパーティに呼ばれ、憧れの先生方と話せて、しかも「なかなかいいね」なんて褒められるものだからものすごく楽しくなって、僕はここからはまった。以降の大学の課題では、規定枚数の3倍の図面を描いてプレゼンしたり、時には先生の講評を論破しようとしたり。生意気な学生ではあったと思います(笑)。
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- 中村拓志
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1974年2月12日 東京都生まれ
1999年3月 明治大学大学院 理工学研究科博士前期課程修了
4月 隈研吾建築都市設計事務所入所
2002年11月 NAP建築設計事務所創業(2003年7月に法人化)
- 主な受賞
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日本建築家協会優秀建築賞、
日本建築学会作品選奨、
日本建築家協会環境建築賞 最優秀賞、
BCS賞、
日本建築家協会新人賞、
新建築賞、
日本商環境設計家協会 JCDデザイン賞 大賞、
GOOD DESIGN AWARD 金賞、
ARCASIA Awards for Architecture 2016,
Building of the Year、
WAN Sustainable Buildings of the Year, Winner、
ar+d Awards, First Prize
ar+d Awards for Emerging Architectureほか多数