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“べき論”ではなく、「何をしたいのか」「何が楽しいか」を大事にする。<br/>そうすれば、これまでの建築家がやってこなかった新しいジャンルが生まれてくると思う

“べき論”ではなく、「何をしたいのか」「何が楽しいか」を大事にする。
そうすれば、これまでの建築家がやってこなかった新しいジャンルが生まれてくると思う

青木 淳

個人住宅をはじめ、「潟博物館」「青森県立美術館」「杉並区大宮前体育館」に代表されるような公共建築、そして一連のルイ・ヴィトンの商業施設、青木淳が手がける作品は多岐にわたる。いずれも印象に強い、チャレンジングなものばかりだ。湛える表情は違えど、一貫しているのは「人と空間が対等になれる感じ」である。造形・機能に対する追求よりも、青木が心を砕いているのは、人に行為や感覚を強要しない空間づくりだ。何かしらを伝えようという〝押しつけ〞がないから、人々はそこにある空間を自分のものとして感じることができる。青木が提起し続けているのは、そんな包容力を携えた豊かな建築である。

早くに確立されたアイデンティティ。感性の赴くままに

生まれは横浜市だが、青木は父親の転勤に伴って転居を繰り返し、小学校時代だけでも3回転校している。友達ができても「すぐにお別れ」で寂しい思いもしたが、もとより感性豊かな青木は、その時々にある関心事を〝自分の世界〞として楽しんできた。

ずっと動いてきたので、どこが本拠地というのがないんですよ。両親とも関東出身で田舎がないし、いわゆる地元仲間も存在しないから、いつも何か属しているという感覚がない。僕が団体行動や皆と一様というのを好まないのは、そのあたりが影響しているのかもしれません。
野球とか、友達と遊ぶことが多い普通の子供でしたが、僕が少し変わっていたとすれば、小学生の頃、家の間取り図にすごく興味を持っていたこと。新聞に入っている物件チラシがあるでしょう、あの間取り図を見ながら「どんな部屋なのかな?」と想像するのが楽しかった。絵を描くのも好きだったから、自分で設計図らしきものを起こして、母親の誕生日に「こんな家をつくってあげる」とプレゼントした覚えがあります。たいして喜んでもらえなかったけれど(笑)。
その流れで言うと、僕が建築というものを初めて意識したのは中学生の時です。ある日、図書室でたまたま手に建築の写真集で、それがガウディだったんですよ。衝撃的でした。世の中にこんな建物があるのかって。1964年の東京オリンピック当時、渋谷区に住んでいた僕は代々木体育館を間近に見ていたし、丹下健三が有名なことも知っていたけれど、ガウディは異次元のように映った。それからは、本屋さんに行って『建築文化』を見てはカッコいなぁ、欲しいなぁと。で、誕生日の時、父親に建築雑誌をねだったら、何を勘違いしたのか……買ってきたのは不動産雑誌。もうがっかり(笑)。熱が冷めて、建築への興味はしばらく棚上げになっちゃいました。

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神奈川県立小田原高等学校に進学したのは転居を伴ってのこと。東京からだと〝都落ち感〞があり、ワクワクするような刺激もなかった。「何となく学校に行くのがイヤになった」青木は、もっぱら家で好きなことに打ち込んだという。本を読み、映画を鑑賞し、あるいはエレキギターに夢中になりと、まさに自由謳歌の日々……である。

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授業がつまらなくてね、なかでも体育の授業なんて、皆と同じことをさせられるでしょう。運動自体は嫌いじゃないけれど、とにかく団体行動が苦手。朝礼や修学旅行などもボイコットです。
朝礼に出ない時は図書室に行って、司書の人にかくまってもらっていました。そんななか、唯一面白かったのが国語の授業で、僕はこの先生の授業をクラス超えで追いかけて、一日中国語なんていう日もありました。極端ですよね(笑)。それでも、学校からは格段うるさいことは言われなかった。もちろん表向きには許されない話ですが、当時は高校にも学生運動の名残があったから、生徒をあまりきつく縛ると面倒なことになるというので、自由にさせていたのだと思います。
そんな調子だから、大学受験のことも真剣に考えていませんでした。それが東大受験につながるのは、親戚に「お父さんは東大だったけれど、君は無理だね」と言われたから。悔しいじゃないですか。それで発奮して受験したものの……当然落ちた。数学なんて、問題の意味すらわからなかったし。それから予備校に通いながら本気で勉強し、翌年に合格することができたのです。ずっと本や映画に触れてきたから、高校生の頃は、物書きとか映画監督の仕事が面白そうだと思っていたのですが、受験失敗の挫折もあり、浪人時代には「建築にしよう」と考えていました。やっぱり好きは好きで、頭の片隅に残っていたんでしょうね。

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PROFILE

青木 淳

青木 淳

1956年10月22日 横浜市中区生まれ
1980年3月 東京大学工学部建築学科卒業
1982年3月 東京大学大学院修士課程修了
9月 磯崎新アトリエ入所
1991年9月 青木淳建築計画事務所設立

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