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Architect's magazine

“べき論”ではなく、「何をしたいのか」「何が楽しいか」を大事にする。<br/>そうすれば、これまでの建築家がやってこなかった新しいジャンルが生まれてくると思う

“べき論”ではなく、「何をしたいのか」「何が楽しいか」を大事にする。
そうすれば、これまでの建築家がやってこなかった新しいジャンルが生まれてくると思う

青木 淳

個人住宅をはじめ、「潟博物館」「青森県立美術館」「杉並区大宮前体育館」に代表されるような公共建築、そして一連のルイ・ヴィトンの商業施設、青木淳が手がける作品は多岐にわたる。いずれも印象に強い、チャレンジングなものばかりだ。湛える表情は違えど、一貫しているのは「人と空間が対等になれる感じ」である。造形・機能に対する追求よりも、青木が心を砕いているのは、人に行為や感覚を強要しない空間づくりだ。何かしらを伝えようという〝押しつけ〞がないから、人々はそこにある空間を自分のものとして感じることができる。青木が提起し続けているのは、そんな包容力を携えた豊かな建築である。

一貫しているのは、安定や既成を排したチャレンジ精神

もとより美術に強い関心を持つ青木にとって、美術館は「ずっとやりたかった仕事」。それが叶った「青森県立美術館」は、県立ながら異例の人気を誇っている。この美術館は、隣にある縄文遺跡の発掘現場から着想を得て設計したという。トレンチ(壕)のように地面が幾何学的に切り込まれ、その上から真っ白に塗装された煉瓦の量塊が覆いかぶさる様は、実に印象的だ。

三内丸山縄文遺跡は青森にとって重要な遺跡ですから、この美術館の設計には「関連のある建築をつくる」という使命がありました。遺跡を発掘、調査する際に採るトレンチという方法がありますが、これは地面を碁盤の目のように切って掘り下げていくもの。この空間を実際に体験した僕は、これは面白いと思って、美術館もこんな空間でつくることができないかと考えたわけです。どういう展示室にすればいいかではなく、土と構造体が噛み合うその隙間をどうつくっていけばいいかを。

一般的なつくり方とは逆転していますが、何より青森のこの場だから成立する空間をつくらなければ意味がありません。結果的にできたランダムな展示空間は、作家さんたちにつくるという行為を誘発する、いわば対等の関係を感じさせるものになったと思います。美術館に限らず、常に主題にしているのは意図を強要しない空間づくり。僕自身、押しつけられることが嫌いですから(笑)。意図をしなくても、空間は人に何らかの影響を及ぼすものだから、それをちゃんとコントロールしていくことがデザインだと思うのです。

今、京都市美術館の増改築をやっていて、これもまたチャレンジングなプロジェクトです。もとからある建物にリスペクトしながら手を加えていく、その按配ってすごく難しい。ゼロからつくるのとは勝手が大きく違いますからね。そこにある建物、環境にどうチューニングしていくか。あるものをどう変容させていくか。これから日本でも増えていくテーマで、前から関心はあったのですが、現実としてやるのは初めての機会です。この仕事を通じて学ぶことは多いだろうなと思いながら、現場に入っているところです。

幾度も言葉に出てくるように、青木は「チャレンジング」を好む。安定したくないというのは事務所運営においても同じで、規模を大きくする志向はなく、スタッフは基本「4年で卒業する」というルールがある。時限はあるが、そのぶん青木は、それぞれの個性と向き合える距離感を大切にしている。

事務所がもつかどうかわからず、当初は4年制も何もなかったのですが、4年ほど経った頃、スタッフも2つくらいのプロジェクトを経験して、うちでやれることは概ねマスターできるなと。続けて一緒にやるのはお互いにラクだけれど、やっぱり刺激がなくなるし、マンネリ化するでしょう。僕自身、チャレンジングを求めて始めた事務所だから、目的にも合いません。

あらかじめ4年制卒業を伝えておくと、スタッフもその間に精一杯の吸収をしようとするので、よかったと思っています。ただ、最近の仕事はどんどん時間がかかるようになっているから、4年限りは難しいですけどね。コンペで勝って実施設計までいっても、クライアントが潰れちゃうとか、いろんな事態も起きますし。最低でも一つのプロジェクトが実現するまでは経験させてあげたい、それは大切にしています。

安定や固定は、決して楽しいものじゃないと思うんですよ。仕事でも既存の概念や「何をすべきか」を出発点にすると面白くない。だから、最初から建築家像というものは持たないほうがいいと、僕はよく言うんです。自分がやって楽しいこと、「何をしたいのか」を大事にすると、結果的に今までの建築家がやってこなかった新しいジャンルが生まれてくるし、実際そうなっています。僕と若い建築家とではやっていることも関心も違う、だからこそ面白いのです。考えてみれば、デザインは常に他者から依頼されてやっているわけで、自ら選んだ領域ではないんですよ。僕らはその土壌のなかでやってきましたが、今やその場は荒れちゃっているので、若い人たちには自分で土壌を耕す、デザインすることが求められていると思う。何より僕は、そこに生まれる新しい世界に期待しているんですよ。

 

 

 

 

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PROFILE

青木 淳

青木 淳

1956年10月22日 横浜市中区生まれ
1980年3月 東京大学工学部建築学科卒業
1982年3月 東京大学大学院修士課程修了
9月 磯崎新アトリエ入所
1991年9月 青木淳建築計画事務所設立

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