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Architect's magazine

決まったルールを鵜呑みにせず、規範の〝閾値(いきち) 〟を探り、攻め続ける。

決まったルールを鵜呑みにせず、規範の〝閾値(いきち) 〟を探り、攻め続ける。

津川恵理

身体表現への興味から建築の道へ。
建物の設計に留まらず、公共空間やアートまで横断し、〝規範”の境界線を探る建築家・津川恵理。彼女が見つめる「身体の公共化」と、社会を自由にする建築の可能性とは。

個人の身体をいかに社会とつなげるか

─まずは津川さんが代表を務める「ALTEMY」についてお聞かせください。独立されて6年目とのことですが、どのような組織なのですか?
津川:ALTEMYは一級建築士事務所で、「建築を通して社会に何をしたいのか」という理念のもと、建築やインテリア、ランドスケープ、プロダクト、アート、ファッションなど、領域を横断する新奇的なデザイン提案を手掛けています。というのも、元々は私がダンスのパフォーマンスをやってたこともあって、身体表現への興味が強いんです。
 なので、個人の肉体である身体がいかに公共的になっていくか、言い換えるなら、個人の自由な振る舞いを建築によっていかに引き出して社会とつなげるのか、という部分を考えて日々取り組んでいます。

─どのような経緯で建築家になり、独立に至ったのでしょうか?
津川:元々は建築家になるつもりはなく、ダンスをしていたこともあり、身体表現者になろうと考えていたんです。
 大学進学のタイミングで、「自分で答えを世の中に提示できる職業」に就きたいという想いがあり、建築がそれに近いのではと考えてこの道を選びました。その後、大学院を修了して組織設計事務所に就職したのですが、そういう当初の想いとは少し異なる部署でとても多忙な日々を送るようになって。そんな中で「20代のうちに人生の軌道を変えなければ、後戻りできなくなる」と感じ、入社1年が経った頃からニューヨークの事務所への申し込みを開始し、文化庁の「海外研修制度」に応募しました。
 そうして、入社3年が経った後ニューヨークの「ディラー・スコフィディオ+レンフロ」で働くことになりました。

─すごい行動力ですね。ニューヨークでの経験はいかがでしたか?
津川 まさに水を得た魚のようでした。プラダのバッグのデザイン、マイクロソフト本社のコンペといった建設設計と同時にアートプロジェクトもやっていて、「建築家の仕事ってこんなに幅広いんだ」と実感しましたね。それに、公共空間の設計や現代美術館の増築、オペラの舞台美術まで、ディラー・スコフィディオ+レンフロが手掛けた仕事のすべてに一つの哲学が貫かれているのを見て、「建築家はこんなに自由でいいんだ」と価値観が根底から覆されました。

─その経験を元に日本に帰ってきたわけですね。
津川:まだニューヨークにいた頃に、地元の神戸の広場のコンペに提出したら最優秀賞をいただけたんです。ちょうど文化庁のビザが切れるというタイミングではあったのですが、まだニューヨークで働こうと考えている最中で。
 予想外の展開に人生プランは大きく変わりましたが、それがきっかけで帰国し、独立することになりました。


❶渋谷公園通りデザインコンペ2040「触れる都市のマチエール」。2040年の東京を代表するメインストリート「公園通り」のデザインコンペティション提案。渋谷の谷地・尾根地形を活かし、道路空間に「都市のマチエール」を創出する計画である。実際に訪れることでのみ獲得できる都市の質感を道路全面に展開。交通機能から人の活動の場へと転換し、文化活動が重なる新しい都市ファサードの実現を目指している。

Comment
建築家はただ作るだけではなく、「社会とどう関わるか」という思想を持つ。

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道路を民主化する2040年の渋谷公園通り

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PROFILE

津川恵理

津川恵理
Eri Tsugawa

ALTEMY代表。兵庫県神戸生まれ。
京都工芸繊維大学卒業。
早稲田大学創造理工学術院修了。
2015~2018年組織設計事務所に勤務。
2018~2019年Diller Scofidio + Renfro (NY)に
文化庁新進芸術家海外研修生として勤務。
2019年ALTEMY設立。
東京藝術大学教育研究助手を経て、
現在、東京理科大学、法政大学、
東京電機大学院、日本女子大学にて非常勤講師。

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