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Architect's magazine

建築に夢や希望を託すことは とても重要なこと。それこそが、 素晴らしい建築をつくり出す 原動力になるのだから

建築に夢や希望を託すことは とても重要なこと。それこそが、 素晴らしい建築をつくり出す 原動力になるのだから

椎名英三

 椎名英三が常に希求するのは「自然の感覚を携えた建築」だ。曰く、人がその空間に身を置いた時、「私は今、生きている」という確信を持てるような建築。それは、移ろいゆく社会のなかに位置づけられるものではなく、大いなる宇宙、自然と連続する建築を意味し、椎名はずっとこの普遍的なテーマと向き合ってきた。住宅や商業施設など、多くの建築設計を手掛けるなか、とりわけてシンボリックなのは、屋外の生活を日常に取り込むことができるアウタールームの設えである。ここに椎名の主張が具現されており、そして、外自然と連続する力を持った建築は、人々に本物の心地よさを与えている。

30歳で独立。様々な建築に携わり、独自のスタイルを確立

宮脇氏の下で7年間を過ごした後に独立。椎名は事務所に入った時から「30歳になったら辞めます」と伝えていたそうで、独立のタイミングは自ら決めていた。75年に、まずは事務所の仲間と二人で「空環設計」を設立したが、互いのセンスの違いを認めて、翌年には発展的解消。その後、椎名は自分の名を冠した事務所を設立し、新たなスタートを切ったので
ある。

表参道のケヤキ並木がすごく好きで、その近くに事務所を置きました。今はなき原宿セントラルアパートの1階にはレオンという伝説の喫茶店があって、憧れの場でもありました。ロケーションはよくても、仕事がなければ話にならない(笑)。まずは小学校の同窓会を企画して、同窓生の住宅とか、知人、もしくは親戚ルートで仕事をさせてもらってきました。

仕事が来なかったらどうしようと、いつも不安でしたが、不思議と「もうダメかな」という段になると電話がかかってきたりして。宮脇事務所時代にご縁ができた方からのお話もあったし、いろんなお付き合いのなかから仕事がつながってきたという感じです。

 当初は、わりに店舗も多かった。なかでも一番思い出深いのは、自由が丘につくった「素足の子供」というカフェです。ツヤ消しのダークグレーのタイルやジュラルミンを使い、精神性の高い詩的な空間を目指したのです。ドアを開けた瞬間に「恐い」と帰ってしまう人もいたけれど、オーナーはそれでいいですと。宮脇さんの建築の空間を一言で表すとしたら、それは〝あたたか〞。その流れとは違うものをつくったという意味で、僕の転機となった仕事でした。

 実はその前に、原宿セントラルアパートの中にけっこうカッコいい感じの「アンダンテ」という喫茶店をつくっていたんですね。ある日、ここを訪れた方から突然電話があり、「今から会いたい」と言うわけです。この方が先の素足の子供のオーナーで、つまりは、店をとても気に入って同じような喫茶店をやりたいという話でした。で、その日のうちに契約をしたんですけど、こんな経験、後にも先にも初めてです。驚いたし、感動的だった。それもあって、この仕事はとても思い出深いのです。

並行して住宅や別荘も手掛けるなか、〝自然の感覚を携えた建築〞かつ〝全面トップライト〞が最初にかたちになった住宅が「光の森」である。2000年度JIA新人賞を受賞した本作品によってアウタールームが生まれ、以降、それは椎名の代名詞ともなった。

南仏で暮らしていた時のライフスタイルが好きだというクライアントの求めに応えるべく、光の森で採った主たる方法は、屋外での生活を日常化すること。そして、内部空間には天空からの光を大々的に導入すること、この2つでした。外部空間の内部空間化、内部空間の外部空間化と言い換えられるかもしれません。

 屋外での生活は本当に気持ちがいいものです。太陽や月、星、青空や風、緑を友として、真の時空的な広がりを感じる……アウタールームの存在は、465億光年の天井高を有するルームとして、大きな意味を持つと考えています。最初は単純に「外の部屋」と呼んでいたんですけど、それじゃ響きが悪いので(笑)、追ってアウタールームと名付けました。

 一方、個室と納戸以外の部屋は葦簾を中心とした種類の違うトップライトで構成されています。予算が厳しかったから、ならば低予算でいける葦簾で天井をつくっちゃえと。この頃、葦簾をあれだけ大々的に使う人はいなかったから、かなり思い切ったことをやったものです。もとは、いろんな建築雑誌を見たなかから僕を指名してくださった施主です。アウタールームの床材は施主が探してくれるなど、同じ思いのもと、共につくってきた家なんです。

 自然の感覚というのは、そこにそれがあって然るべき感覚です。自然さゆえに、外自然に連続する力を持ち、その力を内部空間に導入することで、人に落ち着きとか癒やし、心地よさを与えることができる。実際、こういった家で生活する何人かのクライアントからは、「抱えていた病気が治ってきた」「体調がよくなった」と聞いています。
また、「気持ちがいいのか、お客さんが帰らない」とも(笑)。

 自然の感覚でできている家には外自然のパワーが入ってくるんじゃないか、そして、治癒する力を呼び起こすんじゃないか、そんなふうに考えるようになりました。不自然なものというのは、僕ら人間にとって不愉快な存在なんです。不自然なるものに囲まれていると健康上よくないのだと思う。だから、デザインの力ってものすごく大きい。住宅に限らず、どんな仕事であっても、常にそれを肝に据えて臨んでいます。

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「美しい建築」「本物の建築」を追い求める日々

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PROFILE

椎名英三

椎名英三
1945年2月6日東京都港区生まれ
1967年日本大学理工学部建築学科卒業
1968年大高建築設計事務所を経て宮脇檀建築研究室入所
1975年空環設計を設立
1976年椎名英三建築設計事務所設立
2018年椎名英三・祐子建築設計に名称変更
教職・役職など

日本大学海洋建築工学科講師、

日本大学建築学科講師、

国際協力機構(JICA)講師、

日本建築家協会教育研修委員会委員、

日本建築学会作品選奨選考委員、

東京都立大学建築学科講師、

日本女子大学家政学部住居学科講師、

日本建築学会賞選考委員、

昭和女子大学環境デザイン学科講師、

日本建築家協会JIAトーク実行委員会委員長など

 

 

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