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Architect's magazine

建築に夢や希望を託すことは とても重要なこと。それこそが、 素晴らしい建築をつくり出す 原動力になるのだから

建築に夢や希望を託すことは とても重要なこと。それこそが、 素晴らしい建築をつくり出す 原動力になるのだから

椎名英三

 椎名英三が常に希求するのは「自然の感覚を携えた建築」だ。曰く、人がその空間に身を置いた時、「私は今、生きている」という確信を持てるような建築。それは、移ろいゆく社会のなかに位置づけられるものではなく、大いなる宇宙、自然と連続する建築を意味し、椎名はずっとこの普遍的なテーマと向き合ってきた。住宅や商業施設など、多くの建築設計を手掛けるなか、とりわけてシンボリックなのは、屋外の生活を日常に取り込むことができるアウタールームの設えである。ここに椎名の主張が具現されており、そして、外自然と連続する力を持った建築は、人々に本物の心地よさを与えている。

「建築家になりたい」。芽生えた情熱を胸に、迷わず突き進む

とてもシャイな子供だった椎名は早くから宇宙に憧れを抱き、天文学者になることを夢見ていた。「建築家になりたい」という強い思いに変わったのは、中学3年の時。建築家を主人公にしたアメリカの映画『摩天楼』を観て感銘を受けた椎名は、それから一直線、「建築にしがみついてきた」と語る。

母親が赤坂で芸者の置屋をやっていたので、日常的に芸者さんの出入りもあり、僕は、いわゆる普通の家とは違う環境で育ったんですね。何となく家には拠って立てなかったし、人間関係のしがらみのようなものがイヤだなぁと、幼心に感じていました。で、空を見上げると、壮大なる自然、宇宙が広がっている。自分のアイデンティティはそこにあると感じられて、宇宙への憧れを持つようになったのです。

 とにかく恥ずかしがり屋で、体も弱かったものだから、小学校での存在感としては「クラスで一番おとなしい男の子」。後年の同窓会では「椎名、変わったな」と驚かれたものです。要するに、自分に自信がなかったんですよ。ただ面白いことに、6年生の時、クラスの仲間を集めて少年探偵団を結成したことがあって。なぜ、僕が仲間を組織できたのか不思議なのですが、当時読んでいた江戸川乱歩の少年探偵団がよほど気に入っていたんでしょう。また、中学3年の時には、工作の授業でつくった果物入れがすごく高い評価を受けたこともあった。のちの高校、大学でもそうなんですが、僕はなぜか、最後の学年になると何かを開花させる
というパターンなんですよ(笑)。

 宇宙への傾倒は続いていて、将来は天文学者だ!という夢を持っていたんですけど、深夜テレビで観た映画『摩天楼』が僕の行く道を決定づけました。主人公である建築家が、度重なる設計変更のもとに完成しつつあった建築物に納得がいかず、最後は爆発させてしまうという過激な話なのですが、その建築と不屈の魂がカッコよくて、完全に感化されました。もとより工作も好きだったし、建築家という職業に強烈に惹かれたのです。忘れもしない中学3年の時で、以降、「美しい建築をつくりたい」という情熱が失せたことは一度もありませんでした。

もう一つ、椎名に大きな影響を与えたものに、ロマン・ロランの長編小説『ジャン・クリストフ』がある。高校教師に勧められて最初に読んだ時は挫折したが、「大学生になって読み返してみたら、言葉がどんどん入ってきた」。
感化されたのは、やはり主人公の不屈なる生き方である。日本大学理工学部に進学した椎名もまた、意志を貫くべく自ら建築を学んでいく。

建築学科で「建築は素晴らしい!」と語っても周囲からのレスポンスが弱くて、建築に対する愛情があまり感じられませんでし。「最初はみんな建築家になると言うけれど、だんだん自分の実力を知ってあきらめる。考えが甘いよ」と言う先輩もいました。でも、冷静に考えれば、彼こそが甘いんですよ。無理だと思えるような様々な事態に直面しても道を外さず、戦い続けるほうがよほど甘くないと思うから。

 2年生になってようやく設計の授業が始まったものの、本当に下手くそで。イメージどおりに描けなくて、自分の設計哲学に貧困さを感じつつ、猛烈にトレーニングしました。そのさなか、夏休みの自由課題として取り組んだのが当時の帝国ホテルの研究。初めて足を踏み入れた時の感動……全身に鳥肌が立ちました。めくるめくような空間が展開されていて、その流動性は本当に素晴らしかった。空間というものを強く意識するようになったのは、この刺激的な体験が大きいですね。

 建築デザイン研究会にも入って仲間とワイワイやりました。そして、「未来博物館計画」と名付けた卒業設計が桜建賞を受賞。博物館というのは過去のものを展示するわけですが、〝未来〞を展示するというものです。環境も含めた設計で、建築を超える次元として、都市構築体という建築と都市が融合するような存在をつくりたくてチャレンジしました。生きるか死ぬかの勢いで、ほぼすべてを自分で描いたこの図面集は今も大切に保管しています。

本取材は、椎名英三・祐子建築設計が入居するSACRA TERRACE(東京都世田谷区)で行われた。
この建築も椎名氏が設計を手掛けている
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宮脇檀氏に師事。挑戦的な仕事を通じて多くの学びを得る

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PROFILE

椎名英三

椎名英三
1945年2月6日東京都港区生まれ
1967年日本大学理工学部建築学科卒業
1968年大高建築設計事務所を経て宮脇檀建築研究室入所
1975年空環設計を設立
1976年椎名英三建築設計事務所設立
2018年椎名英三・祐子建築設計に名称変更
教職・役職など

日本大学海洋建築工学科講師、

日本大学建築学科講師、

国際協力機構(JICA)講師、

日本建築家協会教育研修委員会委員、

日本建築学会作品選奨選考委員、

東京都立大学建築学科講師、

日本女子大学家政学部住居学科講師、

日本建築学会賞選考委員、

昭和女子大学環境デザイン学科講師、

日本建築家協会JIAトーク実行委員会委員長など

 

 

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