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Architect's magazine

世間事情に惑わされず、 自分のポリシーを決めて道を進む。 そして、社会としっかりかかわる。 建築家には重要な資質だと思う

世間事情に惑わされず、 自分のポリシーを決めて道を進む。 そして、社会としっかりかかわる。 建築家には重要な資質だと思う

横川 健

 住宅から公共建築まで、そして家具や腕時計などといったプロダクトも幅広く手がける横河健の〝デザイン〞には垣根がない。美術学科出身で、人の五感に触れるところから建築を始めた横河は、一貫して人の気持ちや行動に寄り添ってきた。建築を思考する時、外形を捉えるのではなく、その中で行われるであろうコトをデザインするスタンス、それは「モノづくりはコトづくり」という言葉に端的に表れている。日本建築学会作品賞を受賞した「グラスハウス」を筆頭とする数多くの受賞作において、上質で洗練された空間設計が高く評価される所以だ。「美しいもの」「心地よいもの」へのこだわりは、横河の人生観そのものでもある。

建築の世界に踏み込み、プロダクトや住宅など、
多様な作品を生み出す


 黒川ゼミに籍を置き、横河は3年生の時にワシントン州立大学に1年間留学。現在も続く同大学と日大間の交換留学制度の第一期生である。日本と同様、デザインや写真、建築などを境なく学んだのは「刺激的で収穫も大きかった」。卒業設計のテーマは「Atmosphere」で、横河が言う「コトづくり」や、新しい環境を生成する空間と道具のデザイン「環具」への意識は、この頃か
ら芽生えていた。

 卒業設計に取り組んでいる最中から、「僕は先生のところで仕事します!」と勝手に宣言し、実際、提出後すぐ黒川雅之建築設計事務所で働き始めたんです。ずっと徹夜続きだったから、1日だけ寝かせてもらいましたが(笑)。当時、黒川さんは「ゴム川さん」と呼ばれるほどゴム材が好きで、僕が最初にやったのもゴムを使って灰皿や把手をつくる仕事。イタリアのデザインが一世風靡していた頃でね、しかもイタリアではアルキテット(建築家)が多種多様な創作活動をしている――いいなと、影響を受けた時代でもあります。

 丁稚奉公を経て「クレヨン&アソシエイツ」を設立したのは27歳の時。早稲田の大学院にいた仲間2人から声がかかって始めたもので、独立した3人が同じ屋号で活動するアトリエグループです。院生である仲間は仕事経験がなく、実施設計図を描けるのは危ういけど僕一人という、けっこう無茶な出だしで。縁故で小さな別荘の仕事はあったものの、当初は図面を描いているより、皆でゲームを考えては夕飯代を賭けて遊んでいる時間のほうが長かったくらい(笑)。それでも自由で楽しくて、ただ生きていることが栄養になるような気がする、そんな日々でした。

 最初の作品は自動販売機、プロダクトデザインです。建築の仕事は少なかったけれど、意味合いが大きかったのは自邸の「トンネル住居」ですね。環具のはしりというか、考え方を応用した最初の住宅。家具がいろんな動き方をして、状況や気持ちに合わせた生活空間をつくり出す――卒業設計のテーマ「Atmosphere」の延長線上にあり、僕の原点ともなった作品です。


 充実した楽しい日々ではあったが、「あまりに社会とのかかわりが少ない」ことが気になってきた横河は、クレヨンを抜けて単身独立。1982年、この時に誕生したのが「横河設計工房」である。東京・千駄ヶ谷からスタートした小さな事務所が仕事を広げ、発展するのにさほどの時間は要さなかった。

 居酒屋の2階で、僕と新しいスタッフ2人で始めたんです。打ち合わせテーブルを置くと、それだけでいっぱいになるような狭さだったけれど、居心地はよかった。でも、いたのは2年足らず。「ここに入ると発展するわよ」という大家さんの頼もしい言葉どおり、その後は、18年間を過ごすことになる西麻布に引っ越しました。

 変わらず住宅を中心にしながらも、オフィスビルなど、少しずつ企業との付き合いも出てきたなか、エポックになったのは公共建築のコンペに参加したこと。西麻布に移ってすぐの頃だったか、日比谷の交番が公開公募になっていて、応募したら一席になった。それが「警視庁日比谷公園前派出所」で、僕にとっては初の公共建築。独立の際に考えていた「社会とかかわる」という点からも、記憶に強く残っています。

 追って、東京都の設計者選定委員会から別の交番の設計依頼を受けたんですけど、この時はね……警視庁の担当者たちも変わっていて、理不尽に思えるようなこともありました。ちょっとした設計変更を通すのにも一苦労だったし。公共の仕事では、民間のように直接クライアントと話ができる機会がほとんどなく、相手の多くは代理人になるでしょう。結果的に出来上がる建築の善し悪しは、出会いやタイミングの運・不運にけっこう左右されることを知ったというか、僕も〝社会に出て〞、それなりに経験も積んできたわけ(笑)。

 語弊を恐れず言うと、やっぱりイヤなものはつくりたくないんですよ。好きなものだけ、という意味ではなく、仮にクライアントの要望とは違っても、自分が「そこにあってほしいもの」を真摯に求めたい。これはずっと大事にしてきたことで、今も変わりませんね。

本取材は、2019年8月27日、転居前の「横河設計工房」(横浜市都筑区)で行われた。
現事務所は東京都渋谷区にある
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「居心地のいい」環境づくりにこだわった建築の数々

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PROFILE

横河 健

横河 健

○東京都渋谷区生まれ
1970年 9月  ワシントン州立大学交換留学生

1972年 3月  日本大学芸術学部卒業

   4月  黒川雅之建築設計事務所入所

1976年11月  設計事務所クレヨン&アソシエイツ設立

1982年 4月  株式会社横河設計工房設立

2001年 4月  日本大学芸術学部兼担講師( ~2013年)
       日本大学研究所教授(~2003年)

2003年 4月  日本大学理工学部建築学科教授 ( ~2013年)

2004年 4月  JIA日本建築家協会副会長(~2006年)

2008年 4月  日本建築学会代議員(~2009年)

2009年 4月  東京大学大学院非常勤講師(~2011年)

2014年 4月  日本大学理工学部建築学科特任教授(~2015年)

2016年 4月  武蔵野美術大学建築学科客員教授(現任)

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