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Architect's magazine

「その場所に、どんな建物や空間を構えれば人々が幸せになれるか」。機能や造形ばかりにとらわれず、人の舞台をつくることが建築家の重要な役割だと思う

「その場所に、どんな建物や空間を構えれば人々が幸せになれるか」。機能や造形ばかりにとらわれず、人の舞台をつくることが建築家の重要な役割だと思う

古谷誠章

母校である早稲田大学で長く建築学の研究・教育に携わり、またプレーヤーとしても数々の受賞作を生み出してきた古谷誠章は、まさに正道を行くプロフェッサー・アーキテクト。学生たちと一体となり、建築単体のデザインのほか、まちづくりや地域再生といった実社会との連携事業も手がけ、多岐にわたってその手腕を発揮している。代表作として挙げられる「アンパンマンミュージアム」「神流町中里合同庁舎」「茅野市民館」などに共通しているのは、古谷のこだわりでもある融通無なつくり。人がその時々によって自由に使い分け、楽しむことができる建物、空間づくりは、これからの建築の有り様を一つ示唆するものだ。「建築は人の舞台をつくる仕事だから」という古谷の言葉は、とても印象的である。

「建築に進む」と決めて進学した早稲田大学で、早くから実地を学ぶ

物心がついてから小学校低学年までの間、古谷は2つの家を行き来しながら暮らした。両極端な家だが、共通していたのは「自由な使い方が楽しめた」こと。現在の古谷の建築スタイルを形成した、一つ大きな原点である。

 

一つは6畳1間の切妻の一軒家で、そこは、大家さんが母屋を普請する際に建てた大工さん用の仮住まいだったんです。もう一つは実家で、こちらは9部屋くらいあるようなでかい家。よくある同居する嫁と姑の問題で、両親が一時期、6畳1間のほうに別に居を構えたという話なんですけど、面白いことに、この対照的な家には共通点がありました。「使い方が決まっていない」こと。1間のほうは当然、食事も勉強も、そして寝るのもすべてそこでするでしょう。狭くても、生活シーンに合わせて工夫をするのが楽しかった。片や大きい家にはたくさんの部屋があったけれど、〝何の部屋〞という決まりがない。実際、僕の部屋も成長に合わせて何度も変わっています。両方とも多目的で、いわゆるユニバーサルスペースだったわけです。今思えば、この両極端な家が僕の原点にあって、〝可変的なつくり〞を好むようになったんだと思います。

同じく原点になったという意味では、小学2年から大学院時代まで続けたボーイスカウト活動も。自然を体感したり、キャンプしたりという野外生活が好きで、性に合っていました。自然に触れられるような、周囲の環境に溶け込むような建築を強く意識するのは、やはり影響を受けてのことでしょう。「こういう仕事があるんだ」と建築家の存在を認識したのは9歳の時。1964年の東京オリンピックで目にした代々木体育館が衝撃的で、丹下健三の名もその時に知りました。それから時が経って、都立青山高校に通うようになってから、あの辺りが身近になった。好きなスケッチにでも行こうかと、よく足を運んでいました。今は見えないけれど、第一、第二体育館のカーブがずっとつながって見えるアングルがあって、それがとても美しかった。建築家って面白いことを考えるんだなぁと。建築の道へ進みたい――そうはっきり自覚したのは高校2年の時でした。

「建築を勉強するなら早稲田」と考えた古谷は意思どおり受験に臨むが、「文化祭や剣道ばかり熱心にやっていた」から、早稲田大学理工学部に進学したのは一浪後。入学早々に始まったのは凄まじい〝先輩たちの手伝い生活〞で、「1年生のうちにフルコース勉強しちゃった感じ」と振り返る。

入学して1カ月も経たない頃、なんと小学校が同じだった先輩から「ちょっと手伝え」と声をかけられまして。課題の模型をつくったり、図面を描いたりする手伝い生活がいきなり始まったんですよ。徹夜続きも珍しくありませんでした。ボーイスカウト時代のスキルを見込まれて夜食をつくったりね(笑)。重宝がられ、そのうちいろんな先輩の卒業設計や修士論文も手伝っていました。あとから数えてみると、1年間で120泊もしていたというハードさ。でも、ものすごく面白かった。

そういう学生課題を組織的にこなす〝伝統〞は、批判される向きもあるんだけど、早稲田はやっぱりマスプロでしょう。先生から手取り足取り指導を受けられるわけじゃないので、実地や諸先輩とのやりとりはとても勉強になりました。それこそ、今でいうアクティブラーニングですよ。そして、建築家にとって重要なマネジメント能力も。何かの案件に対して、携わる人間の性分や得手、不得手を見極めながらチームでうまく取り組みを進めていくのは、建築家に求められる一つ大きな能力です。縦割りの学生集団に身を置く過程で、授業では得られないものを身に付けたように思います。

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母校での助手時代を経て、教育と設計を活動の両輪とする道へ

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PROFILE

古谷誠章

古谷誠章

1955年2月20日 静岡県富士市生まれ(東京・世田谷育ち)

1978年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業

1980年3月 早稲田大学大学院博士前期課程修了

4月 早稲田大学大学院穂積研究室助手

1983年4月 早稲田大学理工学部建築学科助手

1986年4月 近畿大学工学部講師

9月 文化庁芸術家在外研修員としてマリオ・ボッタ事務所に在籍

1990年4月 近畿大学工学部助教授

1994年4月 早稲田大学理工学部建築学科助教授

9月 八木佐千子と共同でナスカ一級建築士事務所を設立

1997年4月 早稲田大学理工学部建築学科教授

2017年6月 日本建築学会会長

家族構成=妻、息子1人、娘1人

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