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建築には新しい可能性を引き出す力がある。人の活動や周辺環境など、様々な世界を構築していくところにその本筋があるから

建築には新しい可能性を引き出す力がある。人の活動や周辺環境など、様々な世界を構築していくところにその本筋があるから

赤松佳珠子

 小さな個人住宅から大きな公共建築まで、赤松佳珠子が手がける設計は多岐にわたる。とりわけ学校建築において注目作が多く、1990年代に発表した「千葉市立打瀬小学校」(千葉県)や「吉備中央町立吉備高原小学校」(岡山県)はオープンスクールの先駆けとなった。赤松の持ち味を一言で表すならば〝許容する建築〞。人の行動を規制するのではなく、思い思いに過ごせる場所や、新しい活動を拓くような空間づくりを――そのこだわりは一貫している。だからこそ、設計プロセスではスタッフとの協働を大切にし、とことん最適解を追究する。「シーラカンス」(のちC+A、CAtとCAnに改組)に入所して30年余り、それが赤松の変わらない流儀である。

シーラカンスに入所。
早々に、大学時代の研究が学校建築に生きる


 在学中にはゼネコンの設計部や、伊東豊雄建築設計事務所を始めとするアトリエ系の事務所にアルバイトとして出入りしていた。「シーラカンス」もその一つである。小嶋一浩氏(2016年10月逝去)らが共同設立した同事務所は当時より注目されており、それは赤松にとっても魅力的な場であった。

 シーラカンスは最後の夏休みにバイトした先で、まだ設立4年目の若い事務所でした。複数のパートナーがフラットに議論しながらつくっていく様を実際に見聞きし、「すごく面白そう」と思ったのを覚えています。卒業後のことは伊東さんにも相談していて、シーラカンスの話をすると「あそこはいいぞ」と。でも、ほかにも優秀な人たちが来ていたし、就職希望者も多かったから、私は「入りたい」とは言い出せなくて……。そうしたらある日、伊東さんから小嶋宛に電話が入り、「アルバイトに行っている赤松はなかなか頑張るヤツだぞ」と言ってくれたらしいのです。それで「お前って就職希望なの?」という話になり、結果、入所に至ったというわけ。この一件は、小嶋に長らくネタにされましたよ(笑)。 

 当時のシーラカンスは主に小ぶりの集合住宅をやっていて、公共建築を手がけるようになったのはちょうど私が入った頃。「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」の現場や、幕張新都心の住宅地区のマスタープラン計画が始まっていたタイミングです。私は幕張のほうのワーキンググループに担当者として入っていたのですが、計画が進む過程で行われた小学校のプロポーザルでシーラカンスが選ばれたんですね。それが、事務所の学校建築第1号となった「打瀬小学校」です。

 大学時代にオープンスクールを研究していたでしょう、プロポーザルで選ばれた時に「私、わりと知っています!」と手を挙げて、基本設計から入らせてもらいました。新人だから何とかついていきながらでしたが、これも巡り合わせ。本当にいいタイミングでした。現場にも常駐し、早くから学校建築にかかわれたことは大きな経験になりました。


 幕張の現場と並行して、ダブル現場監理をしていたのが個人住宅「House TM」で、先に実現したこちらが赤松の処女作である。建ぺい率40%、容積率60%ほどの限られた条件ながら、5人家族がのびのびと過ごせるよう随所に工夫が施された住宅だ。〝居心地のよさ〞を極限まで追究する赤松のこだわりは、この時から体現されている。

 まずは限られた敷地のなかに〝どう置くか〞が重要なテーマでした。60%を占める外部を内部の延長として捉えられないだろうか――スタディを重ねながら、外に向かって視線が抜けるようなつくり方を意識しました。真四角じゃなく様々に角度をつけて。だから、見た目はちょっと不思議なかたちなんですけど、いろんな場所からの視線の抜け、光の当たり方が広がりを感じさせてくれるのです。あと、ポイントとしては個室設置を最小限にし、地下や吹き抜けを子供の成長に合わせて自由に仕切れるようにしたこと。住む人が育て、住む人と一緒に成長していく。そんな包容力のある住宅をつくりたいという思いは今も変わりませんが、その原点となった作品でした。

 学校建築のほうは、先の「打瀬小学校」が「外にも内にも壁がない学校」として話題になり、仕事がつながっていきました。打瀬の次に、初めてチーフとして現場常駐した「吉備高原小学校」は責任も伴って大変でしたが、全体像が見えるぶん、やりがいがあった。吉備高原都市の初めての小学校計画でしたし、岡山県に8カ月間ほど住み込んだ〝どっぷり〞の生活も含めて、記憶に強く残る仕事です。

 実は、当初は市内にアパートを借りていたのですが、隣室が火事になり、焼け出されてしまったんですよ。で、現場近くのホテル住まいになったんですけど、その建物には現場事務所も入っていたから、ゼネコンの人たちとも〝どっぷり〞(笑)。でも、結果的にはよくて、深夜まで打ち合わせを重ね、意見を交わす日々を通じて、現場でのパートナーシップの大切さを実体験として学ぶことができました。この件に限らず、どのプロジェクトも発見や学びは必ずあるので、印象に残っているものです。ただ、最初の10年間くらいはあまりに忙しくて、自分がどういう生活をしていたのか……それはあまり覚えていないんですよ(笑)。

本取材は、2019年8月9日、「CAt」(東京恵比寿)の事務所で行われた。事務所が入居するビルの設計もCAtが手がけている
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大事にしているパートナーシップの下、次々と意欲作を発表く

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PROFILE

赤松佳珠子

赤松佳珠子

1968年2月15日 東京都世田谷区出身

1990年3月   日本女子大学家政学部
        住居学科卒業
    4月   シーラカンスに入所

1998年     C+A(シーラカンス アンド
        アソシエイツ)に改組

2002年      パートナーに就任

2004年~     神戸芸術工科大学非常勤講師

2005年      CA(t C+A tokyo)と
         CAn(C+A nagoya) に改組

2013年      法政大学准教授
2016年~     法政大学教授

主な受賞
日本建築学会賞(作品賞)
第26回村野藤吾賞
日本建築学会作品選奨
日本建築家協会賞
BCS賞ほか受賞多数

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