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建築には新しい可能性を引き出す力がある。人の活動や周辺環境など、様々な世界を構築していくところにその本筋があるから

建築には新しい可能性を引き出す力がある。人の活動や周辺環境など、様々な世界を構築していくところにその本筋があるから

赤松佳珠子

 小さな個人住宅から大きな公共建築まで、赤松佳珠子が手がける設計は多岐にわたる。とりわけ学校建築において注目作が多く、1990年代に発表した「千葉市立打瀬小学校」(千葉県)や「吉備中央町立吉備高原小学校」(岡山県)はオープンスクールの先駆けとなった。赤松の持ち味を一言で表すならば〝許容する建築〞。人の行動を規制するのではなく、思い思いに過ごせる場所や、新しい活動を拓くような空間づくりを――そのこだわりは一貫している。だからこそ、設計プロセスではスタッフとの協働を大切にし、とことん最適解を追究する。「シーラカンス」(のちC+A、CAtとCAnに改組)に入所して30年余り、それが赤松の変わらない流儀である。

大事にしているパートナーシップの下、次々と意欲作を発表


 その後も学校建築は継続し、2000年代に入ってからは「リベラルアーツ&サイエンスカレッジ」(カタール)を皮切りに、日本以外の仕事でも経験を積んできた。そして、教室の新たなスタイル「L壁」を考案した「宇土市立宇土小学校」(熊本県)や、地域の拠点として展開した「流山市立おおたかの森小・中学校、おおたかの森センター、こども図書館」(千葉県)などといった注目作が続く。赤松らが打ち出すのは画一的なオープンスクールではない。そこには常に新しいスタイルの提案があり、何かしらの〝突破〞を感じさせる挑戦がある。

 オープンスクール的な設計が増えてきていますが、当然のことながら、単に壁を取っ払うという話じゃなく、どんな授業や活動が展開されていくのか、そこに適した空間をどうつくっていくのかが重要なわけです。一つひとつが違うし、あるいは、新しく学校を設計する場合と建て替えの場合、地域性によっても違ってくる。本当にケースバイケースなので、とにかくリサーチすることを大切にしています。

 例えば建て替えなら、まず既存の校舎をリサーチすることから始めます。これまでの使われ方、授業のやり方はもちろんのこと、荷物の量はどれくらいあるかなど、それはもう徹底的に。新設に関しては、面積や教室数などの条件設定を分析しながら、マスタープラン的な観点でのスタディから始めますが、いずれにせよ、子供たちの活動領域をどう捉えるか、かなり幅広いスタディを延々と繰り返すことになります。そこから絞り出した「こんな新しい可能性が生まれるのでは」という考えを提案に込めるのです。

 学校建築に限らず、それはすべてに共通すること。先方から出てくる要望事項をそのまま収めるだけでは、せっかく新しくつくる意味がないでしょう。それに、要望はえてして表層的だったりします。その奥には何かしらの「本当は」がある。潜在意識のようなそれをどう炙り出せるかが肝なんです。住宅でいえば「寝室は2つ」「玄関は広め」といった要望を単純に聞くだけではダメで、やはり週末の過ごし方とか家族との関係とか、ライフスタイルを十分にリサーチしないと〝超えた提案〞はできないと思いますね。

 加えて、その時だけにターゲットを合わせても仕方がなくて、5年後、10年後といった時間を含めた設計も大切です。建築って長い時を経ていくのだから、先々どうなっているべきかも含めて考えるようにしています。もちろん、新しい提案ってすべてが思いどおりにいくわけじゃないけれど、私たちにとっては譲れないスタイルで、大事にしていきたいのです。 


 赤松がパートナーに就任したのは02年、34歳の時である。聞けば、30歳を過ぎた頃に独立を意識したこともあったそうだ。アトリエ系の事務所全般において、一定の経験を積んだ人が〝巣立つ〞のは決して珍しい話ではない。「むしろ、そういうものだと思っていた」と、赤松は当時を振り返る。

 ここで再度、伊東さん登場(笑)。飲みに連れて行ってもらったり、ご一緒する機会も多いのですが、ある時、「私もそろそろ年ですし」という話をしたんですね。周りに独立する人が出始めていたので。すると伊東さんは、「独立して何をやりたいの?」と聞くわけです。内心では「そう言われても……普通はするじゃないですか」と思いつつ、その〝何を〞が答えられない。「シーラカンスは幅広い仕事をしているから、これからもっと面白いことがやれるんじゃないか」と言われ、「確かに」と腑に落ちる感じがあったのです。一国一城の主にと強く思っていたわけでもないし、大事なのは仕事の可能性の広がりや面白さだと。実際、いろんなことができたから、今日にまで至っているという話です。

 追って時折、パートナーの経営会議に呼ばれるようになりました。「この案件、担当者はどうしよう」という相談や、プロジェクトの運営にかかわることで。次第に事務所全体の話をする機会が増えていき、「パートナーになる気はない?」と声をかけられたのです。シーラカンスは最初から共同経営でやってきているから違和感はなく、自然にパートナーになった感じですね。とはいえ、想定していたことではないので、覚悟は必要でしたけど。うちはずっと現場も経営もパートナーシップですから、「プロポーザルに応募して次を取らなきゃ!」と、時々胃が痛くなるような場面もありますよ。

 3年前に小嶋を亡くし、様々な面で大きな痛みがあったのはいうまでもありません。この頃は「南方熊楠記念館新館」や「釜石市立釜石東中学校、鵜住居小学校、鵜住居幼稚園、釜石市鵜住居児童館」など、ここまで同時にプロジェクトが動いたことはないといった状況で、もうがむしゃらに走り抜けた感じです。私一人では成立していなかったでしょう。現在CAtパートナーである大村やスタッフ皆がいたから、やってこられたのです。小嶋という存在がなくなった後の模索はまだまだ続くでしょうが、シーラカンスが大事にしてきたスタイルを変えるつもりはあ
りません。タッグを組みながら、いろいろな建築に挑みたいと考えています。

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「大きな可能性を秘めている建築」と向き合い、走り続ける

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PROFILE

赤松佳珠子

赤松佳珠子

1968年2月15日 東京都世田谷区出身

1990年3月   日本女子大学家政学部
        住居学科卒業
    4月   シーラカンスに入所

1998年     C+A(シーラカンス アンド
        アソシエイツ)に改組

2002年      パートナーに就任

2004年~     神戸芸術工科大学非常勤講師

2005年      CA(t C+A tokyo)と
         CAn(C+A nagoya) に改組

2013年      法政大学准教授
2016年~     法政大学教授

主な受賞
日本建築学会賞(作品賞)
第26回村野藤吾賞
日本建築学会作品選奨
日本建築家協会賞
BCS賞ほか受賞多数

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