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建築には新しい可能性を引き出す力がある。人の活動や周辺環境など、様々な世界を構築していくところにその本筋があるから

建築には新しい可能性を引き出す力がある。人の活動や周辺環境など、様々な世界を構築していくところにその本筋があるから

赤松佳珠子

 小さな個人住宅から大きな公共建築まで、赤松佳珠子が手がける設計は多岐にわたる。とりわけ学校建築において注目作が多く、1990年代に発表した「千葉市立打瀬小学校」(千葉県)や「吉備中央町立吉備高原小学校」(岡山県)はオープンスクールの先駆けとなった。赤松の持ち味を一言で表すならば〝許容する建築〞。人の行動を規制するのではなく、思い思いに過ごせる場所や、新しい活動を拓くような空間づくりを――そのこだわりは一貫している。だからこそ、設計プロセスではスタッフとの協働を大切にし、とことん最適解を追究する。「シーラカンス」(のちC+A、CAtとCAnに改組)に入所して30年余り、それが赤松の変わらない流儀である。

子供の頃から〝つくる〞を楽しむ。
導かれるように建築の道へ――

 赤松が育ったのは東京の世田谷。都会っ子ながらなかなかの〝お転婆〞で、近所の公園では木登りをしたり、秘密基地をつくったり、「日が暮れるまで遊んでいたクチ」。という話がある一方、子供の頃から大好きだったのはものづくりで、工作や刺しゅう、紙粘土細工などにも夢中になったという。

 どちらにしても、ひたすら遊んでいたわけです(笑)。生活環境が変わったのは、横浜に引っ越して中学校に入ったあたりから。さすがに少しは勉強しなきゃと思いつつ、今度はブラスバンドの部活にのめり込みまして。クラリネットをやっていました。県大会で優勝するようなレベルの部だったので、そのぶん毎日の練習が厳しく、時には肺活量を鍛えるために校舎の周りを走ったりと、運動部より大変だったくらい。それでも面白くて夢中になっていたのですが、3年生になるタイミングで、家の近くに新設校ができて移ったのを機に部活がなくなってしまった。そこから勉強モードに入ったというか、周りには私立の高校受験を目指す人が多かったので、私も「受けてみるか」と。

 入ったのは日本女子大の付属高校で、実はこの進学が後の建築への道につながることになります。高校生になってからは、当時全盛だったアメリカ文化、映画や音楽ですね、それらが好きで「大学は英文科がいいかな」と考えていたんですよ。ところが、3年生になった頃から別の興味対象が出てきた。たまたま読んだアール・ヌーヴォーに関する本がきっかけとなり、アートや建築などが織りなす〝世界観〞に惹かれるようになったのです。

 そして、はたと「日本女子大には住居学科があるわ」と。模型など好きなものづくりができそうだし、美術や芸術にも関連があるしと、最後になって急に進路変更したんです。この段階で「建築家になる」と決めていたわけじゃないけれど……わからないものです。もし大学に住居学科がなかったら、この道には入っていなかったと思うから。


 日本女子大学の住居学科は、女性が建築、設計を学ぶ場として長い歴史を持つパイオニア的な存在だ。当初は「何か建築に関連する仕事ができれば」程度に考えていた赤松も、充実した環境にあって次第に〝設計の面白さ〞に目覚めていく。

 課題は大変だったけれど「やっぱり面白かった」という感じ。模型づくりや設計などは夜を徹してやっていました。カリキュラムに加え、当時、非常勤講師として来てくださっていた伊東豊雄さんや富永譲さんから教わったことも大きいです。最初の頃、私はエスキスがあまり得意じゃなくて、特に伊東さんからは「頭が固いな」と言われたものです。そして「建築はもっと自由でいいんだぞ」と。繰り返し見てもらっているうちに、だんだん自分の考えが広がったというか、設計に変化が出てきて、一層面白くなりましたね。

 4年生になる時のこと。ゼミ選択があり、私にはお目当ての先生がいたのですが……折り悪く、1年間の学外研究に入られる前で所属が叶わなかったんです。「どうしよう」と思っていたところ、「卒論を書きに行きなさい」と紹介された先が東大の高橋鷹志先生の研究室。日本女子大ではわりに他大学へ〝里子〞に出るケースがあって、私もその一人になったというわけです。

 計画系で随一の高橋研では環境心理、環境工学を学び、そのなかで取り組んだのがオープンスクールに関する研究です。当時の研究室には、子供の環境デザイン計画や研究を専門とする柳澤要さんがいらして、一緒にあちこち調査に行ったり、子供たちの行動をプロットしたり。それが本当に面白くて、仕上げた卒論もずばり「オープンスクールにおける子供たちの行動に関する研究」です。思えば、これもたまたま高橋研に行ったから出合えたようなもの。勉強、研究したことが後に生き、私の原点にもなったのですから、いろんな偶然に導かれたような気がします。

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シーラカンスに入所。早々に、大学時代の研究が学校建築に生きる

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PROFILE

赤松佳珠子

赤松佳珠子

1968年2月15日 東京都世田谷区出身

1990年3月   日本女子大学家政学部
        住居学科卒業
    4月   シーラカンスに入所

1998年     C+A(シーラカンス アンド
        アソシエイツ)に改組

2002年      パートナーに就任

2004年~     神戸芸術工科大学非常勤講師

2005年      CA(t C+A tokyo)と
         CAn(C+A nagoya) に改組

2013年      法政大学准教授
2016年~     法政大学教授

主な受賞
日本建築学会賞(作品賞)
第26回村野藤吾賞
日本建築学会作品選奨
日本建築家協会賞
BCS賞ほか受賞多数

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