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Architect's magazine

常に新しい時代の要請に応え、空間環境の創造とその価値のマネジメントに尽くす。<br/>そういう社会に貢献する建築家の価値は、永遠のものである

常に新しい時代の要請に応え、空間環境の創造とその価値のマネジメントに尽くす。
そういう社会に貢献する建築家の価値は、永遠のものである

六鹿正治

建築を学び始めた頃から、都市的スケールの建築群や都市デザインに強い関心を寄せていた六鹿正治は、そのまま真っ直ぐに、この領域を歩んできた。日本設計を足場に40年、六鹿のプロフェッショナル人生は、常に時代を見据えた都市計画、都市デザインの創造と共にある。代表作には「徳島県庁舎」「汐留シティセンターB街区」「日本橋三井タワー」など先駆的なものが多く、なかでも10年の歳月を要した「新宿アイランド」は、六鹿の真骨頂ともいうべき作品だ。「自分たちが生きる世界の〝かたち〞をつくっていく。これほどワクワクする職業はない」――建築群と環境、そして人々の営みや感覚、それらすべてに思いを馳せてきた、六鹿ならではの言葉である。

行く道を定めたのは高校2年の時。存分に建築を学ぶ

六鹿は京都のど真ん中、中京区で生まれ育った。グリッド状の街路、中央を走る鴨川、三方を囲むなだらかな山。非常に秩序だった空間構成と、神社仏閣や緑地の多い場に育ったことは、「考えてみれば贅沢な環境だった」。

日曜日といえば金閣寺や清水寺、上賀茂神社の原っぱとかで遊ぶのが〝常〞。なかでも、箱庭の焼き物材料を扱うお店がある清水さんは、僕のお気に入りでした。当時、戦争の傷跡などもなく、外から見れば特殊な環境だったかもしれませんが、神社仏閣や自然が日常のものとして存在していたのです。

家の前に電電公社があったんですけど、建て替えのために壊され、長らく原っぱ状態だったから、野球少年だった僕はよくそこで走り回っていたんですね。そのうち工事が始まり、鉄骨が組み上がっていく様を見ながら、「こんなふうに建てるのか」と興味を持ったのを覚えています。あと、祖父が建てた別邸があって、これは武田五一の設計だったらしく、子供心にもハイカラでかっこいいなと。建物を初めて〝意識〞したように思います。

通っていた洛星中学・高校でも建物には縁があったんです。開校して10年目というタイミングで、校舎が充実していく過程をずっと見てきました。体育館や特別教室などをつくるのに、そこらじゅうで工事をしていたし、さらにカトリック系の学校だから、美術・建築が宗教と密接な関係を持っていることを体感することもできた。そしてもう一つ。僕はクラシック音楽が大好きで、オーケストラ部で活動していたんですけど、演奏者としても聴衆としても味わった京都会館の空間の素晴らしさ……今でも忘れられません。

「建築をやろう」と明確に意識したのは17歳の時。当時、貸し雑誌というのがあって、この頃から僕は、親に頼んで『新建築』をとってもらっていたから。これという直接的な理由はないのですが、思い出してみると、様々なパーツが集まってのことなんでしょうね。

それまで文系だと思っていた六鹿は、建築の道に進むため、「好きじゃなかった数学を猛然と勉強した」。「京都からより広い世界に出ていきたい」という思いもあり、進路志望先は東京大学建築学科に絞り、理Ⅰに難なく合格。1964年の東京オリンピックのために建てられた代々木体育館を見て、丹下健三氏に対する憧れもあったという。

希望どおり建築学科に進んでからは、設計課題に熱中し、仲間とつるんでは丹下作品を見て回っていました。たくさんありますけど、東京カテドラル聖マリア大聖堂が一番好きですね。すごい迫力で、間違いなく影響を受けました。丹下さんの授業もまたカッコよかった。現実を鋭く批判するも、威を張るところが全然なくてね。芦原義信さんにも学び、僕は都市デザインにどんどん興味を持つようになったのです。

70年の夏には、文部省のプログラムの下、青少年派遣団の一員として初めてヨーロッパに行き、イタリアを中心に教会などの建築物を訪ね歩きました。こと惹かれたのは絢爛なゴシック建築で、もとにあるのは、中・高時代のミサの経験かもしれません。建築を学ぶようになってから触れた光の取り入れ方、空間の考え方、そして建築と一体化したアートというものは一層興味深く、卒論は「ゴシック建築の空間構成」をテーマにまとめたんです。

「建築史の研究が製図版に影響を与える」などとうそぶきながら(笑)、大学院に進み、ここでは建築史家の稲垣栄三さんの研究室で学びました。時代としては、藤森照信や陣内秀信などといった錚々たるメンバーと席を同じくした時期で、ものすごくラッキーだったと思う。自由議論が楽しくて、せっせと通学したものです。

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アメリカ留学で得た余りある成果を手に、〝現場〞に踏み出す

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PROFILE


1948年4月20日 京都市中京区生まれ
1971年6月 東京大学工学部建築学科卒業
1973年3月 東京大学大学院修士課程修了
8月 フルブライト奨学生として渡米
1975年6月 プリンストン大学大学院
建築都市計画学部修士課程修了
1975年9月 エーブレス・シュワルツ都市計画事務所
(ニューヨーク)
1977年2月 槇総合計画事務所入所
1978年2月 株式会社日本設計入社
2001年4月 同社取締役副社長
プロジェクト統括本部長
2006年4月 同社代表取締役社長
2013年10月 同社取締役会長
2017年12月 同社最高顧問

 

公職

日本建築学会副会長(2012年5月~2014年5月)
日本建築家協会会長(2016年6月~)

 

教職

慶應義塾大学理工学部非常勤講師(2002年~2017年)
東京大学工学部都市工学科非常勤講師(2003年~2006年)
京都大学工学部建築学科非常勤講師(2007年~2009年)
早稲田大学、東京大学、京都大学、明治大学などで特別講義

 

主な受賞

日本建築学会賞(新宿アイランド)
BCS賞(新宿アイランド、日本橋三井タワー、
虎ノ門ヒルズ、徳島県庁舎)
ほかグッドデザイン賞、サステナブル建築賞、
日本照明賞、日経ニューオフィス賞など多数

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