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建物自体が人に「I love you」と言っているような感覚の建築。フォルムの美しさより、人々の活動や暮らしをどう良くしていくかという大きな視点が大切だと思う

建物自体が人に「I love you」と言っているような感覚の建築。フォルムの美しさより、人々の活動や暮らしをどう良くしていくかという大きな視点が大切だと思う

トム・ヘネガン

「いつか日本に行く」。そう心に決めていたトム・ヘネガンが初めて来日したのは1990年。直後に手がけた「草地畜産研究所畜舎」では日本建築学会賞を受賞し、以降も、「ハイヅカ湖畔の森バンガロー」「ほたるいかミュージアム」「フォレストパークあだたら」などといった公共建築で数々の賞を手にしている。いつも「これが最後」と思いながら、真摯にプロジェクトに向き合ってきた結果だ。現在、東京藝術大学で教鞭を執るヘネガンは、母国・イギリスやオーストラリアなどにおいても、長きにわたって建築教育に力を注いできた。「建築は人々の生活をより良く、豊かにしていくためにある」――国や時代を超えて、彼は今日もその〝大志〞を伝え続けている。

名門・AAスクールで師匠に恵まれ、早くに建築の本質を学ぶ

ずっとアートの成績が良かったヘネガンの夢は「画家になること」。高校生上級になった時、大学受験科目の一つとして美術を専攻したのは自然な流れだが、聞けば、ここを機に「建築を学ぼう」と決めたという。

通っていた高校の「美術」は、単に実技だけでなく、アート全般の知識や建築理論、それらにまつわる歴史など、幅広く学ぶプログラムだったのです。教えていた先生も、絵とか彫刻に限らず建築についても非常にくわしい人で、影響を受けたのでしょう。私自身は画家になりたいと思っていたけれど、そういう先生に出会ったこと、そして、試験範囲にも含まれていた建築の歴史を勉強するうちに、興味を持つようになったのです。

とはいえ、建築が何かはまだ全然わかっていなかったのですが、同じく高校時代に、その一端に触れるような出来事がありました。ある日、建築学校に通う友人と電車で乗り合わせまして、その時、彼が描いた図書館の図面を見せてもらったんですね。「図面ってこういうものか」と思いながら帰宅し、それから私は、自分なりに違う案を考えてみたのです。その作業が、ことのほか面白かったんですよ。

建築を学ぶとなると、イギリスではやはりAAスクール(英国建築協会付属建築学校)が筆頭に挙がるわけですが、当時は「金持ちしか入学しない」と聞いていたし、その〝鼻高々〞な感じがイヤで(笑)。のちにAAスクールには行くことになるのですが、高校卒業後、私はレスターの工科大学に進学し、3年間建築を勉強しました。イギリス中部にある小さな町、レスターには、古代ローマ時代の遺跡やヴィクトリア建築物が多く保存されていて、歴史を学ぶうえでもいい環境でしたね。

奨学金制度を利用し、大学院からAAスクールに進学したヘネガンは、ここで多大な薫陶を受ける。説明するまでもなく、同校は、世界的に影響力を持つ多くの建築家を輩出してきた名門だが、ヘネガンが在籍していた時代はとりわけ刺激的だった。業界に強烈なインパクトを与えた前衛的建築家グループ「アーキグラム」の活動期で、その結成メンバーであるピーター・クック、ロン・ヘロン両氏は、ヘネガンの師匠にあたる。

彼らの展覧会や、自主出版していた雑誌『アーキグラム』を見るにつけ、その斬新なアイデアとグラフィカルな表現に惹かれました。でも、私は天の邪鬼なのか、AAスクールでアーキグラムのユニットに参加するのは〝見え見え〞で、安易すぎるとも思っていた。にもかかわらず、結果的に同ユニットに入ったのは、ロン・ヘロンが最高に素敵な人だったからです。

実作をせず、SF的な建築プロジェクトを発表するなど、外からは派手なイメージを持たれていたアーキグラムですが、彼らが大切にしていたのは、どうすれば人々が建築に対して楽しい感情を抱けるか、ということ。物質としての建築、つまりかたちではなく、重んじていたのはプログラムです。ヘロンの批評も常に明快で、「そのかたちがいいか悪いか」じゃなく、テクノロジーの進化がどう人々の生活を良くしていくのか、そこに建築というものがどうかかわっていくべきか、という視点にあった。「まずは人々ありき」。建物自体が人に「I love you」と言っているような感覚の建築。それは、保守的なイギリスの建築規範からの解放を望む姿勢であったし、私にとっての最大の学びにもなりました。

当時のAAスクールは、まるで戦場のような場所でした。他国からも著名な建築家が来ていたし、美術家や映画監督などといった多彩なクリエイターたちが教えていたので、学生は何が新しいか、面白いかに目を凝らし、競うようにして話を聞きに行ったものです。私自身、映像の授業で教わった人の顔を立体的に映し出す照明手法や、インフォメーションの方法などは印象に強く、のちの設計にも生きています。クリエイティビティというものを育む意味において、AAスクールはやはり豊かな土壌を持っていたと思いますね。

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実務とティーチングを通じて、建築家としての才を発揮していく

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PROFILE

トム・ヘネガン

トム・ヘネガン

1951年 英国ロンドン市生まれ
1975年 AAスクール修了
構造設計事務所アラップ社勤務
1976年 AAスクール
ユニットマスター(教授~89年)
1982年 アリッソン+ピーター・スミッソン
建築事務所勤務
1985年 ロンドンにて個人事務所を設立
1990年 東京にて
アーキテクチャー・ファクトリーを設立
1991年 東京藝術大学招聘教授(~94年)
1998年 工学院大学工学部建築学科
特別専任教授(~02年)
2002年 シドニー大学建築・デザイン・
都市計画学部長
2009年 東京藝術大学美術学部建築科教授

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