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Architect's magazine

多くの人が新しい体験や気づきを 得られるような場、ものをつくりたい。 そのために必要なことは 何でもチャレンジする

多くの人が新しい体験や気づきを 得られるような場、ものをつくりたい。 そのために必要なことは 何でもチャレンジする

永山祐子

 26歳の時、若くして独立した永山祐子は、住宅はもちろん商業施設の空間設計、話題の大型プロジェクトなど、スピード感をもってその活躍の場を広げてきた。代表的なプロジェクトに「LOUIS VUITTON京都大丸店」「豊島横尾館」などがあり、近年のものとしては「ドバイ国際博覧会日本館」や「東急歌舞伎町タワー」が挙げられる。とりわけ光のデザインに定評がある永山だが、素材のポテンシャルを引き出し、新しい現象を起こすというチャレンジングな取り組みが印象的だ。「建築は未来を描く仕事」だと定義する永山にとって、〝チャレンジ〞は極めて重要な支柱となっている。

新進気鋭の建築家としてチャレンジを重ね、〝永山イズム〞を構築

 永山が「LOUIS VUITTON京都大丸店」を手がけたのは、独立してまだ間もない頃である。もとは、大阪ヒルトンプラザ店の指名型コンペに臨んだものだったが、永山の案が「京都のほうに向いている」ということから始まった仕事だった。京都の代表的な情景である「縦格子」を意匠として採用し、再構築したファサードは広く注目され、永山の代表作となった。

 大阪のコンペは相当な気合いを入れて臨んだのですが、最終的に負けてしまったんですよ。ところが、1カ月後に「案がよかったから京都のほうで」とお話をいただいて、やった!と。それで、喜び勇んで京都に出向いたら……敷地条件が大阪とは全然違っていたのです。アーケードで分断されている商業地域に元の案は合わないから、リデザインさせてほしいと強くお願いしまして。「この場所にはそぐわない」と率直に言っちゃったという、若気の至り(笑)。でも、説得は通じて、設計変更にOKをいただけた。ヴィトンのストアデザインチームはやはり素晴らしく、一緒にチャレンジもしてくれた点で、非常に仕事がしやすかったです。

 ファサードには京都の伝統的なモチーフである縦格子を取り入れていますが、これは偏光板でもって実現させています。黒い縦格子が実際にあるわけではなく、一方向の波長の光しか通さない偏光板の特性を利用して、見る角度によって表情を変える事象をつくり出しているわけです。

 偏光板は面白い素材だと思って頭にストックしていたのですが、建築素材としての前例がなく、施工に至るまでは難題続出で、数々の実験と厳しい耐久テストを重ねてのチャレンジでした。現在のように〝守り〞が強い窮屈な状況だったら、実現できなかったと思います。そして、「絶対に実現させよう」とタッグを組んでくれたファサードエンジニアチーム、照明家など、今でもお付き合いが続く仲間にも恵まれました。そういう財産を得たという意味でも、非常に印象に強い仕事ですね。

もう一つ、永山にとって印象深い仕事となったのが「豊島横尾館」である。豊島・家浦地区(香川県)の古民家を改修して建てられた、アーティスト・横尾忠則氏の美術館だ。アートと建築が融合する空間を実現するために、特に工夫を凝らした「光」には〝永山ならでは〞が発揮されている。他方、本プロジェクト中に妊娠・出産を経験したことも思い出深く、永山自身のキャリアにも大きな変化があったという。

 豊島横尾館は、横尾さんが一貫してテーマにされている「生と死」を想起させるシンボリックな場となっています。巡り合わせというか……私は設計の構想段階で長男を出産し、完成時には2人目の子がお腹にいたというタイミングで、より強く〝生〞を意識するようになりました。建築は単なるかたちではない。何か新しい体験や気づきに出合えるようなものづくりをしたい、そんな志向が強まったように思います。

 生まれたばかりの子を抱え、かつ次の出産を控えて仕事をするのは、さすがに大変で考えに集中できず、もう無理だと焦った時期もありました。でも、一日に数時間集中できて、ふっと閃きが降りてくる瞬間がある。その時は波をつかまえて一気に考える……サーフィンだと思ってやっていました(笑)。マインドセット次第で、何事もプラスに変えられるということも知りました。そして何より、スタッフの助けや母、家族のバックアップがあったからこそ、乗り切ってこられたのです。

 豊島横尾館でJIA新人賞を受賞した時、「今のまま続けていい」と背中を押してもらえたのだと思いました。ペースを落とそうかとも考えていたのですが、このまま走っていいんだと。ただ、子育ては疎かにできないので、物理的に割ける時間は制限されます。効率化を図るために事務所の運営方法を変えたのはこの頃からで、仕事はよりスタッフに任せ、私がチェックする部分は判断のスピードを上げるよう努めてきました。結果、キャパシティが広がり、スタッフも仕事も増えてきた感じです。大きな変化を迎えたという意味で、やはり思い出深い時期ですね。

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今までになかったものを。大型プロジェクトにおいてもチャレンジを貫く

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PROFILE

永山祐子

永山祐子
Yuko Nagayama

1975年12月18日 東京都杉並区生まれ
1998年3月 昭和女子大学
生活科学部生活美学科卒業
4月 青木淳建築計画事務所入所
2002年4月 永山祐子建築設計設立
家族構成=夫、息子1人、娘1人

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