アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

MAGAZINE TOP > 新進気鋭 > 武田清明建築設計事務所 武田清明

人、自然、時間を豊かに融合させ、 世の〝当たり前〞に向き合う建築を

人、自然、時間を豊かに融合させ、 世の〝当たり前〞に向き合う建築を

武田清明建築設計事務所 武田清明

廃墟調査から見えた自然と建築のあり方

「とんでもない研究室に来てしまった」。

イーストロンドン大学に進学した当初、武田清明氏はそんな焦りを感じていた。卒業設計が1位に選ばれた武田氏は、大学教授の勧めで素材から建築を研究するイギリスの大学院に進学する。しかし、ふたを開けてみると廃墟のリサーチばかりに駆り出される日々。

「同級生はすでに職場で設計業務に就いているのに、自分は思いもしない道に進んでしまったという不安を抱えながら2年間を過ごしていました」

そんななか、イタリア・ウルビーノの丘の上にある廃墟で、ある光景を目にする。地盤が固いために木が生えないエリアで、朽ちた天井に穴が開いた住居の室内に小さな森が。壁があることで周辺には生えない蔦が垂直に這い、瓦礫が崩れた残土に鳥が落とした種が発芽して樹木になる。廃墟の中に周囲とは異なる生態系が出現していた――。

「建築は環境を破壊しているといわれますが、人工物があるからこそ生まれる生態系もあることを知りました」

職場として選んだのは隈研吾建築都市設計事務所である。当時は海外コンペで勝ち始めた頃で、勢いのある環境に身を置きたいと選んだ先だ。

最初は、浅草文化観光センターなどのコンペばかりを手掛けていた。数件をこなしコンペの要領を得た頃、インテリアの担当に。次はビルのファサード、海外建築、実施設計と、常に新たな分野に挑戦させられた。

「自信がついたと思ったら次。いつも新人のような緊張感がありました」

隈氏から特に影響を受けたのは、社会へのメッセージの伝え方だという。たとえば、コンペの資料は高齢者が読める文字でつくれと指示される。建築業界でしか伝わらない言語を多用しない。広い一般社会への射程距離を考えながら仕事をしているのがわかった。

最も印象深い仕事は、同事務所での最後の仕事となった富岡市庁舎の設計だという。コンペを通過し、設計が進んだタイミングで市長選挙となり、庁舎新築見直しを公約に掲げた新候補が当選。コンペでは分棟案が評価されたが、建築費減額を理由に一棟案への変更を求められてしまう。新市長からの要求を伝えた際の隈氏の答えは、「何でもやらせてもらおう」であった。

「驚きました。が、設計をやり直してみると、一棟案と分棟案の折衷案が閃き、結果はGO。頑なに主張するのではなく、相手の求める本質を捉えて柔軟に向き合う姿勢を学びました」

【次のページ】
明確な目標は定めず、目の前の課題に向かう

ページ: 1 2

PROFILE

武田清明

武田清明
たけだ・きよあき

1982年、神奈川県生まれ。
2005年、東海大学工学部建築学科卒業。
07年、イーストロンドン大学大学院修了。
08年、隈研吾建築都市設計事務所に入所し、設計室長などを歴任。
19年、武田清明建築設計事務所を設立。千葉工業大学、
日本女子大学、東海大学で非常勤講師。主な受賞に、
SDレビュー2018・鹿島賞、日本建築学会作品選集新人賞など。
一級建築士。

株式会社武田清明
建築設計事務所

所在地/東京都練馬区石神井町3-10-12 1階
TEL/03-6683-3838
https://www.kiyoakitakeda.com

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ