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知識、技術、経験、―― そして“段取り力”それらの総合力を、常に追求し続けてきた

知識、技術、経験、―― そして“段取り力”それらの総合力を、常に追求し続けてきた

株式会社大林組東千葉メディカルセンター工事事務所所長 田渕成明

自立式電波塔として“世界最高”の高さを誇る「東京スカイツリー」。日本の誇る建築・建設技術者を紹介する本連載1回目にご登場願ったのは、東京の新たな“シンボル”の建設を作業所長として支えた大林組の田渕成明氏である。同社入社以来、一貫して施工管理に携わり、大型物件を中心に二十数件の実績を重ねた田渕氏の人生と、プロフェッショナルの心意気を聞いた。

「大卒に負けじ」と1級建築士試験にチャレンジ

田渕氏の故郷は大阪府能勢町。「大阪といっても、東京なら奥多摩のような田舎」にある専業農家の次男として誕生した。野山を駆け回って遊ぶ少年時代、すでにその心には“建築家”への憧れが芽生えていたようだ。

「大工さんが家を建てているのを見るのが好きだったんですよ。時々、材木の切れ端をくれたりしてね。持って帰って、“積み木遊び”などに没頭しました。まあ勉強よりも工作が得意だったのは、確かですね(笑)」

家業は長男が継ぐのが当たり前の時代である。手に職を、と進んだ工業高校では、迷わず建築科を選んでいた。高校進学の年、1970年に地元で万国博覧会が開かれたのも、何かの縁だったのだろう。近未来的な意匠を凝らしたパビリオンの数々、壮大な「お祭り広場」を間近に見るにつけ、「将来は建設関連の仕事がしたい。それも図面を書いて出来上がりを待つ設計よりも、実際に現場で建物をつくり上げていく施工をやりたい」という夢は、徐々にリアルな目標になっていった。

目標の第1段階をクリアしたのは3年後

目標の第1段階をクリアしたのは3年後。高校卒業と同時に、大林組に就職するのだが、ここでも“時代背景”が田渕氏の背中を押す。

「同期入社は約500人で、大卒と高卒が半々くらい。でも直後に石油ショックが襲って、採用が100人程度に激減しただけでなく、高卒を採らなくなりました。少し遅く生まれていたら、どこかの小さな工務店に入って、今も木造建築をやっていたかもしれません」

1カ月の大阪本店での研修を終え、命じられたのは東京勤務だった。「東京には修学旅行で来ただけでしたから、右も左もわからず、ただ無我夢中ですよ。とにかく高校出たての分際で現場をやるのは、辛かった。作業員さんの中には、自分の父親や祖父の年代の人もいる。上司や先輩が言えば動くのに、私なんて相手にしてくれないわけです。よく、きつい言葉も投げかけられた。でもそれは、知識も経験も足りない新人に対する、彼らなりの“かわいがり方”だったんだと後になって納得しました。あの体験がなかったら現場とは自分の思いどおりスイスイ動くもの、と勘違いしたまま仕事を続けていたかもしれません」

貴重な経験を積む一方、入社してすぐに田渕氏が自らに課したテーマがあった。建築士資格の取得である。「現場で責任ある施工管理の仕事をしようと思ったら、資格が要る。言い方を変えれば、何かやりたいと考えた時に、資格がないからできない、という状況をつくりたくなかった。1級建築士になれば、大卒の人間とも対等に仕事ができるという思いもありました」

そんな強固な意志を支えに、入社4年目に2級建築士に、さらに実務4年後には難関の1級建築士試験に、ともに一発で合格している。

“突貫”を覚悟した東京スカイツリー

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PROFILE

田渕 成明

田渕 成明
Shigeaki Tabuchi
1954年5月7日  大阪府能勢町生まれ
1973年3月  大阪市立都島工業高等学校建築科卒業
   4月  株式会社大林組入社
1976年12月  2級建築士取得
1982年2月  1級建築士取得
1989年3月  1級建築
 施工管理技士取得
2004年1月  監理技術者取得
株式会社大林組
創業  1892年1月
設立  1936年12月
代表者  白石 達
資本金  577億5200万円
本社所在地  東京都港区港南2-15-2

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