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建築家にとって重要なのは、建築をどう認識するか、どう実感するか。それは、常に自分を相対化しながら探していくものである

建築家にとって重要なのは、建築をどう認識するか、どう実感するか。それは、常に自分を相対化しながら探していくものである

アトリエ・アンド・アイ 坂本一成研究室 坂本一成

例えば、自由な架構で高い評価を得た「House F」、ヒエラルキー的な集合住宅のつくられ方に一石を投じた「コモンシティ星田」。そして、サステイナブル建築の見本ともされる「egota house A」など、坂本一成は、多く住宅を介して、新しい建築空間の有り様を世に示してきた。また、約40年にわたり大学で教鞭を執ってきた坂本は、思想家としても、社会と建築の関係を真摯に研究し続けている。研究においても、実践においても、その根底にあるのは「建築を自由にする」姿勢だ。それがひいては、人々の生活や活動の自由を許容し、より促すことになると考えている。現代の設計において大切なものは何なのか。相対主義に立ち、常に根本を問い直すスタンスは、今日まで変わらない。

建築の「精神と質」を自分で考えることの大切さを学ぶ

日本人が海外旅行をするなど、極めて珍しい時代に、坂本は単身3カ月、悪戦苦闘しながらも、スペインの建設会社やアトリエ事務所でインターンシップを体験し、旅行でもヨーロッパを巡った。「リアルで貴重な経験」を得た坂本は、そのまま篠原研究室で集落の研究に携わり、以降、大学院までの6年間、在籍することになる。

デザインサーベイという言葉が出始めた頃で、ほかの大学の研究室でも関心を持つようになっていましたが、僕たちは、デザインにこだわるというより、村を成す家々の構成とか集落構造を研究していました。それこそ間取りまで調査し、集落全体を図面に起こしたのは、多分、我々が最初だったと思います。篠原先生からは半分揶揄されながらも、「これができただけでも、皆さんには卒業の価値がある」と言われたのを覚えています。

実は学部生の頃、篠原先生はアナクロな建築家だと、生意気にも思っていました。まだモダニズムが隆盛だったなか、先生はそういった近代規範からかなりの距離を取っていて、つくるものはといえば、〝むくり〞を持った伝統的な曲面屋根や、手すりのない階段とかでしたから。時代的にモダニズムが主流であったなかで、そうした認識を篠原先生にことごとく崩されたのです。建築にある種の合理性が求められていたのに対し、「住宅は広ければ広いほどいい」「無駄は多ければ多いほどいい」など、先生がおっしゃるのは逆説的なことばかり。でも、それがひどく新鮮で、一言も聞き漏らしたくないと思うほど魅力を感じたものです。のちに僕は、篠原作品に自分との違いを感じるようになるのですが、それは先生から、物事の相対化であるとか、建築の精神や質ということを自分で考える大切さを叩き込まれたからだと思う。その意味で、大きな影響を受けましたね。

大学院時代に、坂本は研究活動を中心にしながらも、すでに住宅を手がけている。処女作となったのは「散田の家」。篠原研では、建築の仕事はアルバイトも含めて禁止だったが、坂本が研究生や助手ではなく学生の身であったこと、そして叔母の家であったことから叶った住宅建築である。

「散田の家」は、篠原先生の影響が最も色濃く出た作品ですが、続いて大学院時代に設計した「水無瀬の町家」からは、外部環境との関係において〝建築の在り方の違い〞を意識し始めるようになりました。いずれもコンセプトは「閉じた箱」なんですけど、立地条件が厳しかった水無瀬を経験したことで、地域環境との接触を拒むのではなく、むしろ現実や地域性との葛藤のなかで、建築の面白さは出てくるんじゃないか、そう考えるようになっていったのです。まぁ両方とも、親族の家ということで設計を許してもらった仕事ですから、篠原先生に図面などを見てもらうわけにもいかず、我流ではありましたが。

大学院を出たら設計事務所に就職するつもりで、当時、それなりに著名な事務所にオープンデスクで行ったのですが、その時、図面タイトルの書き直しを命じられましてね。それが図面の使い回しだとわかった時、社会を知らない僕には「許せない行為」に映った。誤解もあったかもしれませんが、この一件で事務所には行きたくなくなって、学校に残らざるを得なくなった。そこから教師に……実は、僕は教師嫌いで。だから、あまり〝それらしく〞はなかったと思うんだけど、学生たちと話をするのが好きだったし、時間を共にするなかで、バッと途中で辞めるのはやはり難しく。結果的に、長く続けることになって、定年まで大学にいました。皮肉な話です(笑)。

最初に赴任した武蔵野美術大学の建築学科は、もともと非常勤講師として手伝いに行っていたご縁からです。学科創設にかかわられた芦原義信先生の信条から、学閥もなく、自由な空気が流れていて本当に楽しかったです。仕事場を大学近くに移し、あらためてアトリエを開設したのもこの頃です。多くの先輩方がそうであったように、僕も住宅に対する思いが強かったので、教師をしながら一つ一ついいものをつくっていきたいと考えていました。ただ、事務所を前面には出していなかったので、あまり仕事がなかったというのが実のところでした。

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PROFILE

坂本 一成

坂本 一成

1943年7月19日   東京都八王子市生まれ
1966年3月     東京工業大学工学部建築学科卒業
1971年4月     東京工業大学大学院博士課程を経て、
武蔵野美術大学建築学科専任講師
アトリエ・ハウス10設立
1977年4月     武蔵野美術大学助教授
1983年12月     東京工業大学助教授 工学博士(東京工業大学)
1991年4月     同大教授
2009年4月     同大名誉教授
アトリエ・アンド・アイ
坂本一成研究室設立

主な受賞
1990年 日本建築学会賞作品賞(House F)
1992年 村野藤吾賞(コモンシティ星田)
2011年 日本建築学会賞著作賞
(『建築に内在する言葉』/TOTO出版)

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