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SDGsすべての項目にかかわる 建築を取り巻く活動は、多彩にある。 何をしたいのか、長期的な目標を 持って自分の道を歩んでほしい

SDGsすべての項目にかかわる 建築を取り巻く活動は、多彩にある。 何をしたいのか、長期的な目標を 持って自分の道を歩んでほしい

国広ジョージ

 東京生まれの日系三世で、アメリカ在住歴33年。日米双方の文化を併せ持つ国広ジョージは、国際的な建築家として多彩な活動を紡いできた。1983年にロサンゼルスで事務所を構えたのを皮切りに、アメリカはもとより日本においても幅広く設計活動を展開。主に住宅や商業施設を手がけてきた。日本に拠点を移したのは46歳の時で、以降はアジア地域を主戦場としている。通じてプロフェッサー・アーキテクトとしてのキャリアも長く、数々の大学で次代の建築家育成に貢献。さらに環境問題に代表されるような社会活動にも熱心に取り組む国広は、建築家というより〝建築にまつわるすべての活動家〞と称したほうがふさわしい。

日米双方において、国際的な設計活動や建築家育成などに勤しむ

 ニューヨークに足場を移したのは、日本がバブル経済さなかにあった87年。景気の後押しも受け、この頃から国広は日米双方において様々なプロジェクトを手がけるようになる。初期の代表作には、老舗興行街のフルリニューアルとして計画された複合ビル「チネ・チッタ・川崎」があり、これは日本初といわれるシネマコンプレックスだ。また、事業プロデュースにも携わるなど、国広は〝架け橋〞として奔走した。

 ロスにいた頃、イエール大学院に留学に来ていた團紀彦さんと会う機会があったんです。当時はまだ日本の建築界とほぼ接点がなかったのですが、これを機にご縁が広がって。戦後生まれの建築家100人が集まるという大きなシンポジウムがあり、その実行委員をやらないかと声をかけられたのです。日本の建築家と交流できるし、これで日本にデビューできるかもと嬉しかったですね。実際、メンバーには妹島和世さんや隈研吾さんとか、今活躍している著名な建築家たちがそろっていて、僕も遅まきながら仲間になることができた。実行委員を3年ほど務めるなかで交流を深め、日本とアメリカをつなぐ活動基盤ができていったのです。

日本とアメリカを行き来しながら、ニューヨークに展覧会を持ってきたり、日本企業のレストランを手がけたり、けっこういろんな仕事をしました。福岡でホテル業を営む会社がニューヨークに進出する際には、屋台村を立ち上げるプロジェクトに携わりましたし、逆に、日本でニューヨーク祭りをやるという時には、ミス・ニューヨークを連れていくとか、そういったイベントのプロデュース経験も積みました。異色なところでは、テレビショッピングを日本で流行らせるためのプロデュースも。日本にはまだなかった時代です。

ニューヨークでジュエリーデザイナーを発掘して、ショップを構え、さらに展示した商品を紹介する動画までつくって。なかには、思うようにいかない厳しい仕事もあったけれど、すべて身になる経験、面白かったですね。

 一方、国広はプロフェッサー・アーキテクトとしても長いキャリアを持つ。イエール、コロンビア、ハーバード大学などの名門校で教鞭を執り、97年に「日本に再上陸」してからは、国士舘大学工学部(現理工学部)にて24年間、学生の指導に当たった。そして、この間には日本建築家協会副会長、ARCASIA会長なども歴任しており、実に多彩な活動を展開している。

 安藤忠雄さんが南カリフォルニア大学で講演を行った際に、僕が通訳を務めたことが後々教壇に立つきっかけとなりました。通訳は知人に頼まれての話でしたが、基本、僕は「NO」と言わないので(笑)。以来、安藤さんがアメリカのいろんな大学から客員教授として招聘されるたび、声をかけてくださった。通訳をしながら一緒に教えるという立場で、僕は無名ながらも〝先生〞になったわけです。

かねてより興味があったアジアに深くかかわろうと方向転換し、意を決して東京に拠点を移したのは46歳の時です。第二の母国・日本に帰りたい気持ちもずっとあったんですよ。幸い、戻った翌年から国士舘大学で専任を務めることになり、しっかり足場をつくることができました。アメリカでの経験が買われたようで、これは安藤さんのおかげですね。先の建築家100人との交流もそうですが、僕は本当に人とのご縁に恵まれてきたと思う。

大学で取り組んだのは、主にアジアにおける近代文化遺産と現代建築の研究です。アジア地域各地で調査研究やワークショップを行い、歴史的建造物の保存と再生について啓蒙活動を続けてきました。もちろん今も情熱を注いでいますよ。文化遺産の保存や再生は建築的な社会活動だと思っているので。そして、学生にも触れてもらいたくて、よく旅を企画しました。ドバイ・エジプト、ギリシャ・トルコ旅行とか、好きな時に好きなところに行く感じなんですけど、24年間を通じて海外旅行を担当したのは僕だけ(笑)。でも最近の学生は、あまり海外に出たがらないので、それが少し寂しいですね。

研究室では仕事もしていました。コンペや住宅設計、あるいは中国の仕事ならば持ち帰って学生と一緒にやるというスタイル。時には、研究室に施主や工務店さんも訪れるわけですが、僕は全部見せてきました。きれいごとばかりじゃなくお金のこと、契約のこと、つまりは社会の現実を。飾らない実践的な研究室としてやってきたつもりです。この3月で国士舘大学は退職しましたが、僕なりの足跡が残せたならば、こんなに嬉しいことはありません。

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「つくらない建築」をテーマとし、より一層の社会活動に注力する

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PROFILE

国広ジョージ

国広ジョージ
George Kunihiro

 

1951年 東京都文京区生まれ
1974年 カリフォルニア大学バークレー校  環境デザイン学部卒業
1976年 ハーバード大学大学院 デザインスクール修士修了
1983年 George Kunihiro Architect開設 (ロサンゼルス)
1987年 同事務所をニューヨークにて開設
1998年 ジョージ国広建築都市研究所設立(東京)国士舘大学工学部助教授
2001年 東京大学大学院工学研究科博士課程満期退学
2003年 国士舘大学工学部(現理工学部)教授(~22年)
2011年 清華大学(中国)客員教授(現任)
2013年 株式会社ティーライフ環境ラボに参画
2019年 明治大学特別招聘教授(~21年)
2022年 アリンインターナショナル株式会社顧問
その他役職

日本建築家協会副会長(2006年)、
AIA(アメリカ建築家協会)フェロー(2008年)、
ARCASIA(アジア建築家評議会)会長(2011~12年)、
「UIA(国際建築家連合)2011東京」
第24回世界建築会議日本組織委員会広報部会長(2002~11年)、
AIA国際理事(2013~15年)、
AIA日本支部会長(2016年)、
ARCASIA執行部アドバイザー(2017~18年)
ほか多数

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