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建築技術よりもイマジネーションが大切。それを弾力的にするには、国外にも出て、視野を拡大するといい

建築技術よりもイマジネーションが大切。それを弾力的にするには、国外にも出て、視野を拡大するといい

竹山実建築綜合研究所

竹山実の建築家人生は50年を超える。その軌跡は、アメリカ、デンマークのアトリエで実務に就いたのを起点とし、当時としては珍しいワールドワイドな修業遍歴から始まっている。帰国して「竹山実建築綜合研究所」を開設したのが30歳の時。今も固有の美を放つ、新宿歌舞伎町の商業ビル「一番館」「二番館」を発表したのは、独立して間もない頃だ。とりわけ一番館は、日本にまだポスト・モダンという言葉が存在しなかった時代に誕生した衝撃的な建築物で、竹山は、その先駆的な存在として注目を集めた。しかし、長年にわたって生み出されてきた竹山の作品は、どれも一様ではない。自身の視点で、常に変化する時代を捉え、人の心に寄り添う"ものづくり"に腐心してきたからだ。傘寿を迎えた今も、変化をいとわない竹山はとてもリべラルで、旺盛な探究心を持ち続けている。

建築の文化的価値が上がる時代――その到来を願いながら

 「代表的なものとしては「晴海客船ターミナル」「横浜市北部斎場」、そして「香港西九龍島開発計画」など、竹山は国内外のプロポーザルにも積極的に参加し、公共建築も数々手がけている。他方、プロフェッサー・アーキテクトとしての立場も長く、武蔵野美術大学を中心に欧米の大学でも教鞭を執ってきた。文字どおり世界に触れてきた竹山の話は、視点が高く示唆に富む。

2006年、チェコにて、「作品展」を開催した。リベレツ、ブルーノなどの都市を巡回

 日本の建築文化という点に関して言うと、相変わらず豊かさが欠落しているように思います。建築が社会から遊離しているというか、使う側の建築に対する考え方が定着していないでしょ。数年前、僕はチェコの年間グランプリ審査会のゲストとして呼ばれ、しばらく滞在したんです。その年に建てられた建築をすべて見て歩き、審査員の投票によってアワードを決めるのです。チェコの国土は北海道より少し小さくて、経済的には豊かではないけれど、いろんな建築がありましたねぇ。設計者はもちろん建主らにも直接会ったのですが、何より使い勝手を楽しむユーザーがとても温かい。建築に寄せる一般市民の熱い思いが伝わってきて、資産価値を重んじる日本の建築文化とは違うなぁと、つくづく感じたものです。

今度のオリンピックの国立競技場にしても、問題があるでしょう?何だか知らない間にコンペをやって、外国の建築家に依頼しちゃって、出来上がったら「でかすぎる」と揉めている。ああいうのを見ても、もっと市民的な共感がないと、いい建築はできないと思うのです。

一方で学生たちを見ていても、建築への関心が少々希薄な気がします。作品は、皆うまいんですよ。でも、どこか表層的で、いつでもほかの何かに転換できるような……。つまりは自分の実生活との結びつきが弱いのでしょう。そこが、気がかりなところですね。

 そして竹山は、昨今の建築教育が技術本位になっていることを憂い、技術よりも想像力や発想力の大切さを説く。「窒息気味な日本の現状から抜け出し、イマジネーションを弾力的にするには、いったん国外に出てみるといい」。それを実践してきたのは、ほかならぬ竹山自身だが、今なお、海外に向けるその情熱は変わらない。

 教員としての僕は、あまり技術に興味がなかった、というより教えられなかった。学生たちとテーブルを囲んで話すのが楽しくて、学校でくつろいでいたというのが本音だから(笑)。もう退官したので直接的な教えはできないけれど、視界を拡大するのに、日本の外の状況を「実感として知る」ことが有効であることは伝えておきたい。僕の時代とは違って、出ることに何ら苦労は伴わないのですから。今はね、国内市場が冷えきって、僕らが経験してきたような大きなプロジェクトが激減しているから、若い人たちは気の毒なんだけれど、だからこそ、国外のこを考えるのはもはや必然なのです。

そして日本にも、かつての東京オリンピックの頃がそうだったように、また公のお金で建築をつくる時代がやってきます。予算が厳しいにしてもね。その時こそがチャンス。広い視野を持つ若い建築家が多く参加できるようなプロポーザルの仕組みが再構築され、先見の明を持つプロジェクトが生まれること。ひいては建築の文化的価値が上がる時代が訪れること、それが僕の願いです。

僕は、これからもあちこちの国を見て歩きたいと思っています。ハーバード時代の同窓会では、毎年場所を変えて集まるのですが、来年はスイスなので、当面はそれを楽しみにしているところです。どこの都市が一番好きかとしょうね。探究心を満たしてくれる未知の場所は、決まって魅力的ですから。問われれば、多分「これから初めて行くところ」。ずっとそう答え続けるで実は、小説家になる夢もあきらめてないんですよ。なかなか書き進められないんだけど(笑)。やっと落ち着いてきたので、僕もまた始めなければ。

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PROFILE

竹山 実

竹山 実
Minoru Takeyama
1934年3月15日 北海道札幌市生まれ
1956年3月 早稲田大学第一理工学部建築学科卒業
1958年4月 早稲田大学理工科系大学院修了
1960年5月 ハーバード大学大学院修了主にボストン、
 ニューヨークの建築設計事務所に
勤務(~1962年)
1962年5月 主にデンマークの建築家の事務所、
 デンマーク王立アカデミー建築学科に勤務
1964年4月 竹山実建築綜合研究所開設
1965年4月 武蔵野美術大学助教授・教授(~2003年)
2004年4月 武蔵野美術大学名誉教授
主な著書

『街路の意味』(鹿島出版会:1977)

『建築のことば』(鹿島出版会:1984)

『ポストボダニズム』(C.ジェンクス訳:1987)『竹山実建築録』(六耀社:2000)

『そうだ建築をやろう』(彰国社:2003)

『ぼくの居場所』(インデックスコミュニケーションズ:2006)

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