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Architect's magazine

小説や音楽、美術などの違う分野にも視野を広げてみる。想像力が遠く飛べば、アイデアが出るし冒険もできるから

小説や音楽、美術などの違う分野にも視野を広げてみる。想像力が遠く飛べば、アイデアが出るし冒険もできるから

北川原 温

個性的な発想と、独創的なデザインで名の立つ北川原温(きたがわら・あつし)。公共・民間問わず、また建築の設計にとどまらず、都市設計やランドスケープデザイン、インテリアデザイン、さらには舞台美術なども手がける北川原の表現領域は、実に幅広い。そして、それら作品の一つ一つには、いつも違う表情がある。目に映る建築物そのものより、「そこに込めた〝意味〞が重要」だと考え、素材やかたち、既存の建築スタイルにまったく執着しないからだ。彼を励起させてきたのは、ずっと傍らにある詩や音楽、現代美術である。建築という枠を超えた創作活動を続ける北川原には、「芸術家」という呼称のほうが似つかわしい。

途切れることのない夢。仲間たちと共に追い求め、走り続ける

 その後、環境共生に優れた木造建築にも取り組み、「岐阜県立森林文化アカデミー」では、金属をまったく使用しないという画期的な構造を提案し、9つの賞を獲得した。異色なところでは、オランダの国立バレエ団、ネザーランド・ダンス・シアターの舞台芸術を手がけた「ONE OF A KIND」。ずっとそうであったように、北川原は興味の赴くままに、その創作領域を広げてきたのである。

 僕には「これじゃなきゃダメ」がないんです。もとより〝まともな近代建築〞をするつもりはなかったし、僕にとって重要なのは「意味が何なのか」です。やはりデュシャン的なんですよ。材料やかたちは二の次。そこにこだわって自分のボキャブラリーをつくってしまうと、傍目に映る〝らしさ〞を失うのが怖くなって、殻ができるのはつまらないから。

本来、建築って社会的なものでしょ。公共建築であれば、その地域や社会にどう役に立っていくかが大切だし、個人宅であれば、所有者の家なのだから、建築家がスタイルを押しつけるものじゃない。何かひとつ、感じてもらえるものがあればいいんです。住む人が自分風に暮らしていけることが、やはり大切だと思うのです。だから僕は、建築物を作品だとは考えていません。あえて言えば、その建築に込めた意味が作品ということでしょうか。

例えば、キース・ヘリングのコレクションのみを展示するプライベート美術館は、現在も増築工事が進んでいますが、そのなかで、かたちが変わっていっても全然かまわない。オーナーは、美術館棟ができたところで完結していると思って、気を遣ってくださるんだけど、僕は改造も増築も「いいですよー」って(笑)。ゲストハウスがもうすぐ完成しますし、ホテルも今、着工しているところです。八ヶ岳の麓にある3万㎡余りの広大な敷地にある建物が、それぞれ全然違っていて、「別の建築家が設計した」と思われるくらい。まだまだ増築を進めていきますが、楽しみな仕事ですね。

北川原文中画像2

2008年、「中村キース・ヘリング美術館」が村野藤吾賞を受賞。北川原氏は今も、同美術館の増築やホテル、ゲストハウスなどの設計に携わっている

 他方、北川原は東京藝大で長らく教鞭を執っており、北川原研究室では異分野の専門家たちとも協力しながら、様々な研究や創作活動に取り組んできた。今、力を注いでいるのは、都市ひとつをまるごと考えるプロジェクト。いくつかの対象地域を調査するなか、定めた地域が上野一帯である。そこに、これまでになかった都市を創造するのが北川原の夢。星霜を経ても、かつての「夢見る少年」は健在なのである。

 上野公園を中心に広がる国立博物館や都美術館、動物園、文化会館、それに東京藝大など、公的な芸術文化系の施設群の広がりは80haというものすごい面積になるんです。その全体を考えていこうという研究プロジェクトで、先般、海外の企業が助成してくれることになったので、本格的に研究をスタートすることになりました。

都市づくりというと、コマーシャルな再開発が多くなりますが、そこにとらわれず、僕は〝生きた都市〞を考えたいのです。いわゆる再開発で高層ビルを建てると、まずはお金の計算をして、例えば、500億円投資したら20年でここまで回収して……と算段する。そうすると、だいたい紋切り型になって面白いものができない。もちろん経済は大事ですが、僕が上野の杜で考えているのは、芸術文化を骨格にし、そこに経済がついてくるような都市づくり。今、音楽や美術は当然のこと、文化人類学や交通工学などの専門家らと協力しながら、新しい都市像を描こうとしています。同窓の坂本龍一さんも、「僕もそういうのを考えていたんだ。やりたいよね」って。

基本、上野一帯は縄文時代の森に戻すべきだと思っているんです。元来は大規模な縄文集落があったところで、貝塚も古墳も残っている。現代までの長い時間を感じられる貴重な場所なので、建物はなるべく地下につくり、地上は森にする。タヌキやハクビシンがいっぱい住み着くような……。「日本にもこんな都市ができたんだ」と言わしめるような僕の夢が実現したら、上野の山は、本当に東京を救うかもしれない。おこがましいのですが(笑)。

僕は要領が悪くて、あまりスマートにいかないんだけど、でも、夢はいつも大切にしてきた。今は時代がそうなっているのか、みんな、すぐ隣にあるものや、現実的なことしか考えていないような気がします。想像力の飛ぶ範囲が狭いというか。時に、階段の下に収納を設計したと自慢している学生なんかを見ていると、「えーっ?」とか思っちゃう。もうちょっと大きなこと、先のことを考えてほしいなぁと。建築の世界だけにとどまらず、小説を読むとか、美術や音楽に触れるとか、違うジャンルにも視野を広げればアイデアが出るし、冒険もできるんです。ボールに例えるなら、見えなくなるところまで思いっきり投げるような、そんな感覚を大切にしてほしいですね。

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PROFILE

北川原 温

北川原 温

1951年10月31日 長野県生まれ
1974年3月   東京藝術大学美術学部建築科卒業
1977年3月   同大学大学院修士課程修了
1982年6月   株式会社北川原温建築都市研究所設立
2005年4月  東京藝術大学美術学部建築科教授
2007年6月   ATSUSHI KITAGAWARA ARCHITECTS(ベルリン)開設

主な受賞歴

●日本建築家協会新人賞(1991年)
●ベッシー賞(2000年/舞台美術)
●日本建築学会賞作品賞(2000年)
●日本建築学会賞技術賞(2002年)
●BCS賞(2002年/2011年)
●ケネス・ブラウン環太平洋建築文化賞大賞(2006年~2007年)
●村野藤吾賞(2008年)
●アメリカ建築家協会JAPANデザイン賞(2008年)
●第66回日本芸術院賞受賞(2010年)
ほか多数

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