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Architect's magazine

どの場所にも存在しているポテンシャルを見つけ出す。それを建築でどう後押しするかを考えるのがとても楽しい

どの場所にも存在しているポテンシャルを見つけ出す。それを建築でどう後押しするかを考えるのがとても楽しい

乾久美子

 乾久美子が独立したのは2000年。以降、集合住宅「アパートメントI」を皮切りに、「日比谷花壇日比谷公園店」「みずのき美術館」、そして約8年にわたる取り組みとなった「延岡駅周辺整備プロジェクト」など、手がけてきた建築設計は幅広い。いずれも、いたずらに強い主張を持っておらず、その地でごく自然に佇んでいる点に持ち味がある。乾が大切にしているのは、常なるフラットな姿勢。「自分がつくりたいかたち」に固執せず、プロジェクト一つひとつに対して真摯に解を求め続けることだ。「その場所が持つポテンシャルを見つけるのが好き」という言葉に、乾らしさが象徴されている。

集合住宅を皮切りに、多彩な領域で活躍。まちづくりへの参画も

 転機となったのは、05年に着手した「アパートメントI」。デザイナーズマンションがはやっていた頃で、それを多く扱う企業から声がかかったものだ。施工床面積約125㎡という狭小敷地に計画された小さな集合住宅で、苦しい条件ではあったが、乾にとっては〝初の中身ある建築〞。プランニング、構造・設備計画など、すべてに携われる仕事は嬉しかった。

 そういった苦しい条件であればあるほど「何とかしなきゃ」と思ってしまうのです。まず、事業的に成立させるために狭小の敷地に5戸の住戸を詰め込まなくてはならず、斜線制限も受けながら立体的なパズルをひたすら解き続けたという感じです。

結果、わりと特徴的な解に至りまして、半地下のある5階建てにしました。小さいけれど縦に積んだ〝タワマン〞(笑)。通常、階段には踊り場を取りますが、その余裕もなかったので、共用階段をコア状に突っ込み、階から階へ直接つながるつくりに。そうすると、各フロアのプランニングが異なる面白さが出るというものでした。つらい条件を逆手に取ったアイデアといえます。ありがたく新建築賞をいただけたのも、今までにないタイプの建築ということが評価されたのだと思っています。

追って、貴重な経験となったのが日比谷花壇で、もとから日比谷公園のエッジにあったお店の建て替えです。最初に敷地を見た時、位置からして雰囲気を公園に合わせるか、日比谷の街に合わせるか……難しいなと思いました。また、建て替えで施主は少しでも売り場を大きくしたいと考えていましたが、公園法によって建築面積と、平屋という設定は既存どおりという条件があり、そこも苦労しました。

考えたのは建物を小割りにして、空いた隙間、つまり屋外も活用して売り場面積を稼ぐというものです。そして、建物の一つひとつは小さいけれど背の高いプロポーションにして、上部までガラスを入れ、あまり天井を感じさせない建築にしたんです。室内と屋外の隔たりがないような、公園の木々の気持ちよさを感じられるようなかたちを追求しました。それが前述の迷いに対する解でもあり、自分なりにいい答えが出せたかなと思っています。

 その後は「共愛学園前橋国際大学4号館」のオープンコンペで優勝するなど、乾らの仕事は徐々に多彩かつ大きくなっていく。なかでも、やはりプロポーザルコンペで選ばれた「延岡市の駅周辺整備プロジェクト」は、8年以上にわたって取り組む大仕事となった。デザイン監修者として全体のコンセプトを取りまとめ、数ある施設の半分ほどは設計や工事監理も行っている。

 

 コンペで優勝したのは、共愛学園が初めてだったんですよ。従前も参加はしてきましたが、思い込みが激しかったのでしょう、空振りだらけ。失敗続きのなかでさすがに学んで、要項を徹底的に読み込み、分析するようになりました。すると、言葉には現れていない事情も汲み取れて、発注者が本当に望んでいるものを想像した提案になっていきました。共愛学園で手応えを得てからは、コンペで仕事を取るという流れができてきたように思います。

延岡市のようなプロジェクトは経験のない仕事でしたから、まちづくりや市民参加、景観などについて片っ端から勉強して臨みました。デザイン監修といっても、具体的に何をすればいいのか、最初の頃は発注者側もよくわかっていなくて(笑)、皆で一緒に手探りで仕事をつくってきた感じです。事業としては16個あって、大変な数の集まりです。市や県、様々な事業者、そして市民と、事業を取り巻くステークホルダーもいっぱい存在する。駅前の再開発って、とかく事業同士の関係が整理されないままバラバラに動くから、うまくいかないんですよね。なので、プロジェクトの組み立てや規模をデザインの対象として検討し、それらの関係をつなぐことに相当な力を注ぎました。うちの担当者だった山根俊輔が、一時は延岡市に住み込んで、本当に忍耐強くやってくれました。

途中は仮設だらけなので〝部分〞しか見えませんが、最後、足場をばらして全体が見えた時、そこには事業の境界を感じさせない統一感のある空間が広がっていました。「考えていたことが実った!」と、ものすごくほっとしたのを覚えています。

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フラットな視点で建築の存在を捉える姿勢を大切に

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PROFILE

乾久美子

乾久美子

教職

1969年大阪市北区生まれ
1992年東京藝術大学美術学部 建築学科卒業
1996年イェール大学大学院
建築学部修士課程修了
青木淳建築計画事務所入所
2000年乾久美子建築設計事務所設立
教職

東京藝術大学美術学部建築科助手
(2000年~2001年)、

東京藝術大学美術学部建築科准教授
(2011年~2016年)、

横浜国立大学大学院都市イノベーション学府・研究院
建築都市デザインコース(Y-GSA)教授(2016年~現任)

 

 

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