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Architect's magazine

どの場所にも存在しているポテンシャルを見つけ出す。それを建築でどう後押しするかを考えるのがとても楽しい

どの場所にも存在しているポテンシャルを見つけ出す。それを建築でどう後押しするかを考えるのがとても楽しい

乾久美子

 乾久美子が独立したのは2000年。以降、集合住宅「アパートメントI」を皮切りに、「日比谷花壇日比谷公園店」「みずのき美術館」、そして約8年にわたる取り組みとなった「延岡駅周辺整備プロジェクト」など、手がけてきた建築設計は幅広い。いずれも、いたずらに強い主張を持っておらず、その地でごく自然に佇んでいる点に持ち味がある。乾が大切にしているのは、常なるフラットな姿勢。「自分がつくりたいかたち」に固執せず、プロジェクト一つひとつに対して真摯に解を求め続けることだ。「その場所が持つポテンシャルを見つけるのが好き」という言葉に、乾らしさが象徴されている。

アメリカ留学で学び、憧れの事務所へ。建築家として踏み出す

 大学卒業を控えて具体的にアメリカへの留学を意識するようになった乾は、〝院浪〞のようなかたちで準備を進め、イェール大学大学院に進学する。「外の世界を見ないとまずい」と自分で判断した道は、結果、乾に大きな気づきをもたらしたようだ。

 日本の大学の多くは、都市計画と建築が分かれていますが、イェールには垣根がありませんでした。当時の潮流であったニューアーバニズムに影響された教員が多いなか、いわゆるまちづくりと建築デザインを同時にやっていた。例えば鉄道を中心としたまちづくりの再評価とか、約30年前に、今の日本で展開されているようなことに触れていたわけです。のちに携わることになる、まちづくりの仕事の原点にもなっています。

もう一つ、記憶に強く残っているのは、廃墟化した都市を目の当たりにしたこと。イェール大学がある街、ニューヘブンでは大学以外の産業が衰えていて、大学のエリアを越えると廃墟が延々と続くという状態でした。当時の日本もバブル経済は終焉に向かっていたけれど、地方都市はまだまだ元気でしたから、ある意味、対極の環境です。街って壊れるんだなと理解しました。
こういう状態をどうするのかを考えなきゃいけない。それも建築家の役目だと認識するようになりました。

大学院修了後は、普通ならばアメリカに残って仕事をするという流れになるのでしょうが、私の場合は英語がさほど達者でもないし、就職しても第一線で働けないだろうと。それと、この3年の間に、日本では青木淳さんや妹島和世さんといった新しいタイプの建築家による作品が多く発表されるようになり、「日本のほうが面白そう」と思えてきたのです。日本を離れている期間のなかで、国内の状況がいい方向に変わってくれていたという感じです。

 1996年に帰国した乾は「青木淳建築計画事務所」に入所し、実務家としての一歩を踏み出す。『新建築』などで発表されていた同事務所の作品を通じて、ぜひ働きたいと思うようになった先だ。聞けば、2回アプライしたそうで、「入るのにけっこう苦労したんですよ(笑)」。

 実は院生2年の時に、作品を携えて青木さんを訪ねたことがあるんですが、「まだ修了前でしょう」と断られまして。で、もう1年頑張って、修了後に再度トライ。この時、入所試験みたいなものがありました。ちょうど「御杖小学校」の実施設計をやっていた時期で、その模型を「1週間でつくってみてよ」と。螺旋形状のかなり複雑な建物だったので、その日から徹夜状態です。でも、どうしても入りたかったから、やり遂げた。私が頼りなく映ったのか(笑)、以降、そんな入所試験をしているのは見たことがないんですけどね。

仕事としては、御杖小学校の手伝いからスタートし、次に「雪のまちみらい館」という施設をメイン担当としてやらせてもらいました。新潟に現場があったので、通いながら工事監理も。事務所の先輩もほぼ同じ世代といった環境で、ワイワイしながらの仕事は楽しかったです。

お世話になったのは4年間。というのも当時、スタッフは基本「4年で卒業」というルールがあったから。以降は仕事の規模が大きくなってそうもいかなくなったようですが、私前後の世代はだいたい皆、4年で卒業しています。青木さんは常々それを口にしていたので、時期が来た時に「そろそろ私も」と出たわけです。もちろん不安でしたよ。いきなり仕事があるわけじゃないですし……。

独立と同時に、東京藝大建築科で助手に就いたのは、それで食いつなごうかと(笑)。ひとまず、藝大に通いやすい大塚に事務所を借りてスタートしました。最初の案件も藝大の縁で、美容院をつくるという後輩と一緒に仕事をしました。まぁ手伝いみたいなものですね。あとは、当時の青木事務所がルイ・ヴィトンと多く仕事をしていたので、その関係から話をいただいたり。アウトレットショップの内装に始まって、「ルイ・ヴィトン高知店」では外装をやり、その流れでファサード・デザインの仕事にもけっこう携わりました。つまり、独立後の4、5年間は表層ばかりをやり続けたわけです。いわゆる建築設計をやりたいという思いはあったけれど、とにかく投げられたボールを打ち返すことに必死でした。

本取材は、緑豊かな境内を持つ神社のそばにある乾久美子建築設計事務所で行われた。
事務所の活動を支えるスタッフたちと
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集合住宅を皮切りに、多彩な領域で活躍。まちづくりへの参画も

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PROFILE

乾久美子

乾久美子

教職

1969年大阪市北区生まれ
1992年東京藝術大学美術学部 建築学科卒業
1996年イェール大学大学院
建築学部修士課程修了
青木淳建築計画事務所入所
2000年乾久美子建築設計事務所設立
教職

東京藝術大学美術学部建築科助手
(2000年~2001年)、

東京藝術大学美術学部建築科准教授
(2011年~2016年)、

横浜国立大学大学院都市イノベーション学府・研究院
建築都市デザインコース(Y-GSA)教授(2016年~現任)

 

 

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