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構造計算は、仕事のごく一部であり、「つくり方をデザイン」するのがエンジニアの本分。<br />そこに立てば、この仕事は、最高に面白い

構造計算は、仕事のごく一部であり、「つくり方をデザイン」するのがエンジニアの本分。
そこに立てば、この仕事は、最高に面白い

川口 衞

50年以上、国内外で多岐にわたる構造設計に携わってきた川口衞は、構造エンジニアとして第一線を走り続けている。初期作品である「国立代々木競技場」や大阪万博の建造物を皮切りに、常に斬新な構造を追求し、実現させてきたその功績は大きい。大空間構造の設計において有効な手段となる「パンタドーム構法」の考案者でもある。また、建築ではない橋やタワーの土木構造物も設計するなど、川口の活動領域は実に広い。そして、楽しんでいる。近著『構造と感性』の中には、こんな印象的な一文がある。「構造デザインとは単なる知識や技術の機械的な適用ではなく、五体、五官を総動員して行う全人格的な作業である」――ここにこそ、川口の真骨頂があるように思う。

大学院時代に経験した仕事を通じて、「構造の本質」をつかむ

大学生と銭湯の店主。二重生活ながら、商売のコツをつかんだ川口は、母親と雇用した人に家業を託し、東大の大学院に進むことにした。在籍したのは、意中の「坪井研究室」。多く丹下健三氏と組み、先鋭的な構造家として高名だった坪井善勝教授もまた、川口に大きな薫陶をもたらした恩師である。

先の吉田先生が坪井先生に頼み、福井大学での講演の機会をつくってくれたのです。その講演での冒頭の言葉が衝撃的でした。「私は、建築にとって構造が一番大事だなんて思っていない」。構造の大家でしょう、さぞ、構造の重要性を話されるだろうと思っていたのに……驚きですよ。同時に、ならば建築の世界ってどういうものなのか、がぜん興味を持った。それで、坪井先生の考えていることをもっと知りたいと思い、東大大学院を選んだというわけです。

研究室に入ってすぐの頃から、坪井先生の仕事を手伝い始めたのですが、若造であっても構造設計を任せてくれる先生のスケールの大きさは、僕に貴重な経験と学びを与えてくれました。

まず、僕の構造設計の処女作となった、広島平和記念公園内にある「原爆の子の塔」。少女のブロンズ像を取り付ける台座、3本脚の小さなRCタワーです。最も重視したのは、寿命の長いブロンズに匹敵する耐久性でした。しかし、密実さを求めて固練りのコンクリートを流すには形状的に難しく、考えた方法は、塔を縦に3等分し、工場でコンクリートを平打ちするというもの。それを充分に蒸気養生してから現地に運び、組み立てたわけです。加えて、錆を避けるためにステンレスの沓を履かせた。これがミソ。おかげで、60年近く経った今でも健在ですよ。

その後に携わったのが「国立代々木競技場」で、僕は第一体育館を担当しました。吊り橋の原理を用いた中央構造が特徴ですが、代々木競技場の構造は、吊り橋に比べてはるかに複雑だったんですね。難問だらけで、なかには、施工プロセスを先読みし、必要なディテールを盛り込んでおかないと、施工不能に陥るようなものもあった。この設計を通じて学んだのは、施工から完成後を含む全プロセスにおいて、構造の挙動を〝予見〞することが重要で、それが成否のカギを握るということ。テキストの範疇を超える実践に早くあたれたのは、とても有意義でした。

大学院修了後、先輩の声がかりで、川口は法政大学工学部に勤務するようになる。以降、教授退官まで実に42年。同大学には、建築学科をつくった大江宏氏のリベラルな精神が息づいており、その居心地のよさから「ほかに移りたいとは、ただの一度も思わなかった」。川口はここで研究・開発に勤しみ、31歳の時には事務所も旗揚げした。

院生時代に携わった仕事のおかげで、構造の本質というか、構造設計において大事なものをつかめたので、独立していろいろやってみようと。その大事なもの。今も絶対に必要だと言い続けているのが、3つのEです。まず「Eco‒nomy」。次いで「Efficiency」、効率ですね。安いだけではダメで、使われる材料などがちゃんと効果を発揮するかどうか。そして最後が「Elegance」。これらは、かつて世界中の優秀な構造エンジニアの仕事を調査した、プリンストン大学のデビッド・ビリントン教授による言葉です。

昔も今も、構造は計算だと思っている人が多く、かたちは建築家が決め、構造計算に従って図面を描けば、あとはゼネコンがやってくれる――それが一般的な考え方です。でも、前述の3つのなかには、計算は入っていない。もちろん綿密な構造計算は大切ですが、構造設計のごく一部だということです。僕が独立した頃には、まだビリントン教授はそんなことを言っていませんでしたが、似た感覚はあったのです。

というのも、代々木競技場の仕事を経験したから。当時、世界的に最大規模だった吊り屋根を、構造計算して図面を起こしたからといって、ゼネコンも経験がないから、どうやってつくればいいのかわからない。それを、「なるほどそうか」と思えるように翻訳し、実現させるのが構造エンジニアの仕事。構造設計の本質なんですよ。独立後につくった大阪万博の「お祭り広場大屋根」や「富士グループパビリオン」は、その本質をかたちにした作品です。後者のように、チューブ状の袋に空気を入れる方式など、世界中で誰もやったことがなかった。そういう〝初めてのもの〞を安全に、かつ効率的につくれた作品だと思っています。しかもエレガント……でしょう(笑)。

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「パンタドーム構法」を考案。斬新な発想で、実績を重ねていく

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PROFILE

川口 衛

川口 衛

1932年10月21日 福井県福井市生まれ
1955年3月             福井大学工学部建築学科卒業
1957年3月        東京大学大学院建築構造学専攻修了
1960年4月       法政大学専任講師
1962年4月       法政大学助教授
1964年4月       川口衞構造設計事務所設立
1966年6月       工学博士(東京大学)
1972年4月       法政大学教授
1997年10月     シュトゥットガルト大学名誉工学博士
1998年10月     スロバキア工科大学名誉工学博士
2003年4月       法政大学名誉教授

主な受賞歴
1970年       科学技術庁長官賞  日本建築学会賞(83年、97年も)
1995年       土木学会田中賞  国際構造工学会(IABSE)賞
2001年       国際シェル空間構造学会  (IASS)トロハ・メダル
2008年         日本免震構造協会賞
2015年       日本建築学会大賞
ほか受賞多数

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