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建築は〝もの〞ではない。使われて初めて躍動する、人間の〝体験の束〞である

建築は〝もの〞ではない。使われて初めて躍動する、人間の〝体験の束〞である

永山 祐子

何でもやってみて可能性を絞り込む

建築の道を歩み始めたのは、進路選択を迫られていた、高3のある日のこと。通学バスの停留所で、友人が口にした「建築家を目指す」という言葉に、永山祐子氏の心は動かされた。

「聞いた瞬間、過去の建築にまつわる様々な記憶が頭のなかを巡りました。かつて建築家を志した祖父が遺した数々の本、実家を建て替えたときの気持ちや経験……。バスを降りる頃には、一つの決意が固まっていました。私も建築家になる、と」

大学では、自分の可能性を絞り込むかのように、興味のあること一つひとつにチャレンジする生活を送った。1・2年次は、父親と行ったヨーロッパ旅行や、所属していた「日仏青年会議」の活動をとおし、数々の海外文化に触れた。3年生になり、より専門的なことを学びたい、と思い始めた矢先に出合ったのが、舞台美術だ。かねてより、「建築は完成までに長い年月がかかり、そのタイムラグがもどかしい」と感じていた永山氏は、その瞬間その瞬間にかたちづくられる舞台美術にのめり込んだ。

そんな永山氏が、「私の居場所はここではない」と気づいたのは、舞踏家の田中泯氏と能楽師の観世栄夫氏が演じた二人芝居を手伝った時のこと。二人の圧倒的な存在感で、空間が完成されていたという。

「舞台セットではなく、〝人〞が空間をつくっていたのです。ここに舞台美術はいらないな、と感じました」

4年生になると、当初建築に感じていた〝もどかしさ〞を払拭する機会に遭遇する。オープンデスクで設計事務所シーラカンスを訪れた時だ。

「チームが一丸となって建物をつくっていくところを見て、建築のイメージが、『4〜5年かけてつくられるもの』から『毎日更新されていくもの』に変わりました。大学生活でいろいろなことにチャレンジしてきましたが、この時、自分の進むべき道が絞られたのです」

変化する時代のなか長く使われるように

大学卒業後、テスト採用となった青木淳建築計画事務所で与えられたミッションは、「一日一案を提出する」というもの。毎日新しい案を絞り出し、図面を描き、模型をつくる。そんな生活を1カ月ほど続けたのち、本採用が決まった。

「青木さんは、『頑張れば、一日一案くらい出せる』といつも言っていました。その考え方は、独立した今も私のなかに染み込んでいます」

同事務所には当時、本採用から4年で退職しなければならないという「4年ルール」が存在した。「であれば、4年間だけは、どんなに厳しくても頑張ろう」と決意した永山氏は、忙しくて家に帰れず、机の下で寝泊まりする日も多々あったという。

「青木事務所は、一人に一案件を丸ごと任せるシステム。だからこそ、強い当事者意識をもって取り組めたのだと思います。当時は、久々に友人と会っても、何を話せばいいかわからなくなるくらい、建築のことばかり考えていましたね」

独立したのは、26歳の時。退職後、しばらく休暇を取ろうと考え実家に戻るも、1カ月経たないうちに青木さんから大きな美容室の仕事を紹介される。家のなかではとてもこなせず、仕事場を設けたことが機となった。手がけてきた案件は、商業施設が多い。ゆえに、こだわり続けていることがある。

「商業施設は消費され、時代とともに変化します。時代に流されることなく残り続けられる普遍性を持たせること。長く人に使ってもらうこと、この2つを大事にしたいのです」

一方、初めて住宅「丘のある家」を手がけた時は、これまでにない新たな学びを得たという。

「一般の方たちにとって、私たちが当たり前に使っている用語の意味や、模型の見方がわかりにくいということを思い知りました。以後、丁寧な説明や資料の用意を心がけています」

永山氏は、商業施設にも住宅にも、建築に対して〝もの〞という概念をもっていない。そこにいる人がどう使うのか、オペレーションや暮らし方をリサーチし、〝体験の束〞としてつくり上げる。愛媛県宇和島市にある「木屋旅館」では、永山氏自らの提案で〝体験〞のためのアートイベントを開催した。

「旅館という閉じた空間に別の入口を開き、宇和島の人たちに〝体験〞の機会を提供することができました。空間が使われ、躍動すること。その仕かけづくりこそが、建築的行為といえるのではないでしょうか」

現在、永山氏は2児の母として、仕事と子育てを両立させている。妊娠、子育て中に手がけた美術館「豊島横尾館」は、JIA新人賞を受賞した。

「初めから両立に自信があったわけではありません。でも、賞をいただくこともでき『やっていけるかも』と大きな勇気をもらいました。両立させるコツは、判断スピードを上げることと、スタッフを全面的に信頼すること。私が建築の仕事を続けられるのは、周りの人たちがいてくれてこそなのです」

PROFILE

永山 祐子

永山 祐子

1975年、東京都生まれ。
98年、昭和女子大学生活学部生活環境学科卒業後、青木淳建築計画事務所入所。
2002年、永山祐子建築設計設立。
05年、JCDデザイン賞2005奨励賞、
12年、Architectural Record Design Vanguard Architects 2012、
14年、日本建築家協会JIA新人賞など受賞多数。
一級建築士。

有限会社永山祐子建築設計

所在地/東京都杉並区桃井 1-39-1 キャロット杉並ビル4階

TEL/03-6913-7097

http://www.yukonagayama.co.jp/

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