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〝構造の原理〞に忠実な姿勢を貫き、 考え抜いた複数の〝解〞を提案する

〝構造の原理〞に忠実な姿勢を貫き、 考え抜いた複数の〝解〞を提案する

オーノJAPAN 大野博史

可能性を広げる確信のある解を追求

大野博史氏は、大学院まで意匠系を目指していた、構造家としては異色の経歴を持つ。転機となったのは大学院の修了を控えた時期に聴講した、建築家と構造家との講演会だった。

「建築家二人の作品に興味があって参加したのですが、強く惹かれたのは構造家のお話のほうでした。課題の解決によってディテールを導く構造設計の仕事を知り、デザインをゼロから生み出すのではなく、与えられたデザインにアドバイスするほうが自分には向いていると考えるようになりました」

周囲には構造への転身を「無理だ」と諫められながら、修士設計が終わるとすぐに構造家・池田昌弘氏の事務所の門を叩いた。意匠でも構造でも、入所後に学ぶ過程は同じと考えたのだ。

「やる気があるなら来いと、あっさり入所が決まりました。ですが、入所当初は惨憺たるものでしたね。担当させていただいた建築家の方々には、多大なご迷惑をかけたと思います」

入所して最初に担当したのが、手塚貴晴氏と手塚由比氏設計の住宅である。その仕事中に届いた一通のメールを、今も大事にとっているという。

「池田さんは、1年目からプロジェクトを担当させ任せるスタンスでしたので、建築家にはスタッフが直接メールをしていました。ですが、ある日、手塚さんから池田さんに直にメールが届いたのです。問題が起きていて、このままだとプロジェクトは止まりますという、僕の責任だと確実にわかる内容でした。自戒の念を込めて、そのやり取りはいまだにとっています」

手塚両氏には、その後も様々なプロジェクトをとおして、構造家として大きく育ててもらったと振り返る。

入所して2年半ほどは、池田氏に何を提案しても採用されない日々が続いた。構造計算として間違いはなくても、そのなかから確信できる〝解〞が見つからない状態であったという。ブレイクスルーとなったのは、梁の架け方に悩んで1分の1のスタディ模型を製作した時だった。実際の見え方も含めて検討していくと、自分の中でこの案がよいのではないかという確信を得たという。池田氏に模型を見せて説明すると、初めて提案を受け入れてもらえた。

「間違いのない構造設計に躍起になっていたのですが、それでは解は絞り込めない。建築家の意匠的イメージを把握して構造を提案するのが自分の強みだと気づきました。そこを意識して提案することで、池田さんとも有意義な打ち合わせができるようになりました」

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明確な目標は定めず、目の前の課題に向かう

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PROFILE

大野博史

大野博史
おおの・ひろふみ

1974年、大分県生まれ。97年、
日本大学理工学部建築学科卒業後、ユーゴスラビア「ENERDOPROJEKT」海外研修に参加。
2000年、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了後、池田昌弘建築研究所入所。
05年、オーノJAPAN設立。主な受賞に、日本構造デザイン賞、日本建築学会作品選奨、
BCS賞など。著書『構造設計プロセス図集』(オーム社)。構造設計一級建築士。

有限会社オーノJAPAN

所在地/東京都渋谷区上原1-30-9-402
TEL/03-5452-3180
https://ohno-japan.com/

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