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Architect's magazine

建築の力で一石を投じる。窮屈になりつつある世の中に、多様な選択肢を提示したい

建築の力で一石を投じる。窮屈になりつつある世の中に、多様な選択肢を提示したい

〝原理主義〞を避けて、寛容さを建築で示す

「建築士でも何でもない曽祖父が設計した日本家屋に、建築士の父が設計した〝最小限住宅〞がドッキングした感じ」。松島潤平氏が幼少期を過ごした実家のことだ。支離滅裂な住環境だが、広くもないのに全体像が見えず、探検するように思いもよらぬ空間をしばしば〝発見〞した。

「そんな〝視点が多い〞建築に今も惹かれているんです」

少年時代から芸術やプログラミングに親しんだ。建築学科に進学し、山のような課題をこなしていても「建築を盲信するのは気持ちが悪かった」と松島氏。だが修士制作を経て、建築を生業とする決心を固める。

「テーマは9・11でした。あの飛行機が突っ込んだ階から上は1人も生存者がいません。マッチョなビルをつくってもそれを上回るインパクトが与えられたら崩れてしまう。でも円陣を組んだような建物にすれば、全体は壊れず逃げ道を残せる。そういうリダンダンシー(冗長性)から建築を考えると、より大きい想像力を得られることがわかった。これは人生をかけて取り組む価値のあるフィールドだと思えたんです」

修士課程修了後は、隈研吾建築都市設計事務所へ。経験を積み早く独立するつもりが「仕事が面白くて」6年半在籍した。

「隈さんの事務所は圧倒的にリベラルなんです。ボスを盲信するスタッフがいなくて、皆、隈さんのことを相対的に眺めているし、遠慮なく意見を言い、隈さんもそれを歓迎する。とてもいい空気だなと思いましたね」

2011年、複数の担当物件が同時に竣工したタイミングで独立を果たす。当時から今に至るまで一貫するものがあるとしたら「とにかくいろいろやってみるというスタンス」。隈事務所時代、180平米の住居から8万平米のホテルまでを担当し、事務所内の5人のチーフのもとを渡り歩きながら仕事を学んだ。どの仕事もすべて違い、どれも面白かった。だから「建築はこうあらねばならない」という〝原理主義〞が苦手だという。

「新国立競技場にしろ豊洲市場にしろ、〝誰にとっても等しい正しさを持った建築〞しかつくれない空気には違和感があります。あまりに不寛容で、通時的な社会変容を受け入れるための余剰やブレが削られている。社会全体が『正しくなきゃ』という高濃度の酸素を求め過ぎて過呼吸になっている気がします。僕はもっと社会が寛容であることを示すような建築をつくりたい」

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オルタナティブな視点、態度を生む建築

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PROFILE

松島 潤平

松島 潤平

まつしま・じゅんぺい
1979年、長野県生まれ。

2003年、東京工業大学工学部建築学科卒業

(卒業制作、修士制作共に大岡山建築賞)。

05年、東京工業大学大学院修士課程修了後、

隈研吾建築都市設計事務所に入所。

11年、松島潤平建築設計事務所を設立。

グッドデザイン賞(Le MISTRAL)、

日本建築学会作品選集新人賞(育良保育園)など受賞多数。

芝浦工業大学非常勤講師。一級建築士

松島潤平建築設計事務所

所在地/東京都港区南麻布2-9-20
TEL/03-6721-9284
http://jparchitects.jp

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