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「その場所に、どんな建物や空間を構えれば人々が幸せになれるか」。機能や造形ばかりにとらわれず、人の舞台をつくることが建築家の重要な役割だと思う

「その場所に、どんな建物や空間を構えれば人々が幸せになれるか」。機能や造形ばかりにとらわれず、人の舞台をつくることが建築家の重要な役割だと思う

古谷誠章

母校である早稲田大学で長く建築学の研究・教育に携わり、またプレーヤーとしても数々の受賞作を生み出してきた古谷誠章は、まさに正道を行くプロフェッサー・アーキテクト。学生たちと一体となり、建築単体のデザインのほか、まちづくりや地域再生といった実社会との連携事業も手がけ、多岐にわたってその手腕を発揮している。代表作として挙げられる「アンパンマンミュージアム」「神流町中里合同庁舎」「茅野市民館」などに共通しているのは、古谷のこだわりでもある融通無なつくり。人がその時々によって自由に使い分け、楽しむことができる建物、空間づくりは、これからの建築の有り様を一つ示唆するものだ。「建築は人の舞台をつくる仕事だから」という古谷の言葉は、とても印象的である。

大学と開設した事務所でイノベーティブな建築を重ねていく

古谷が東京に戻ったのは94年。穂積氏の退職に伴い、後任として早稲田大学に呼び戻された格好だ。追ってすぐ、古谷は助手時代に卒論の面倒を見ていた八木佐千子氏と共に「ナスカ一級建築士事務所」を開設。事務所には大きなプロジェクトが早々と舞い込み、加えて大学の設計課題のカリキュラムづくりなど、古谷は文字どおり〝てんてこ舞い〞の日々を送るようになった。

東京に戻ったからといって、すぐに仕事に恵まれるとは思っていませんでしたが、いろんな人が話を持ちかけてくれて。早稲田大学の同窓会館、世界都市博覧会のゲート施設、そして高知県のやなせたかし記念館という3つの大きなプロジェクトがいきなり動き始めました。ただ、前者2つは、バブル崩壊などで結局立ち消えになってしまったので、ナスカの旗揚げ仕事としては、96年に完成したやなせさんの「アンパンマンミュージアム」になります。

これが出来上がる前に取り組んだのが「せんだいメディアテーク」のコンペ。結果は二等で実現はしなかったけれど、僕にとっては建築に対する考え方のものすごく大きな転機となりました。審査委員長だった磯崎新さんの「これからの時代を睨んで、従来の図書館でもなく、ただの市民ギャラリーでもなく、まったく新しいメディアテークという建築を提案せよ」というメッセージに惹かれ、僕たちが提案したのは、簡単にいえば「すべてゴチャ混ぜにしてしまおう」です。例えば、どの階にも図書館の本棚があって、ギャラリーや音楽会に使える空間もある。そんな「錯綜するメディアの森」をつくろうと考えたのです。大学にいて考えるイノベーティブな建築像というものを再確認し、それを学生たちに見せることもできたという点で、意義は大きかった。「早稲田で何をやるか」の起爆剤になりましたし、この時こそがナスカの真の始まりだったように思います。

教育と設計を両輪とした活動は、僕自身をも成長させてくれる

その後の印象深いプロジェクトとして、古谷が挙げるのは「神流町中里合同庁舎(群馬県旧中里村)」と「茅野市民館(長野県)」。2000年〜01年のプロポーザルで立て続けに最優秀賞を獲得し、その斬新な提案が実現したものだ。さらに、今でこそ珍しくなくなったワークショップの手法を、いち早く取り入れた点も先取的であった。

当時の中里村は、関東地方のなかで島を除くと一番小さな自治体で、大正時代に建てられた村役場を建て替えるという案件でした。平成の大合併が始まっており、早晩、中里村も合併になるかもしれないと思ったので、村役場として以外にも使えるような建物を提案したんです。将来、図書館や美術館、音楽ホールとしても機能させられる「融通無碍なるものでいきましょう」と。

茅野市民館のほうは、規模も立地も全然違って、茅野駅の真ん前に建つ大きな複合文化施設です。でも基本の考え方は一緒で、人々の相互交流を生み、図書館や美術館などといった存在の相乗効果が発揮されるよう、やはり混ぜこぜにすることを考えた。メディアテークほどではありませんが、それぞれに機能する施設ホールは保ちつつ、中央のロビーではすべてが溶け合う感じのつくりになっています。駅隣接という立地についていえば、そこには商業施設もあり、通勤や通学に使う〝日常〞がありますよね。対して演劇や音楽会を楽しむのって、ちょっとした〝非日常〞でしょう。その両方を結ぶために、駅の改札と茅野市民館を直結させるブリッジを渡すという工夫もしました。機能の融合というか、人々の豊かな出会いを願ってのことです。

ほぼ提案どおりに実現したのは、完全公開型プロポーザルの恩恵の一つ。審査のあとも市民の皆さんと設計に関する議論や説明会を重ねてきたのは、貴重な経験です。先の中里村では村の小中学生と、市民館ではまさに市民の方々と、本当に数多くのワークショップを開いてきました。勉強として協働してくれた学生たちの力も大きい。こういう新しい試みに熱心に取り組み、提案がかたちになったことは我々の自信につながりました。茅野市民館ではたくさんの賞をいただき、外部からも高い評価を得られたのは、間違いなく、その後の大きな礎になっています。

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PROFILE

古谷誠章

古谷誠章

1955年2月20日 静岡県富士市生まれ(東京・世田谷育ち)

1978年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業

1980年3月 早稲田大学大学院博士前期課程修了

4月 早稲田大学大学院穂積研究室助手

1983年4月 早稲田大学理工学部建築学科助手

1986年4月 近畿大学工学部講師

9月 文化庁芸術家在外研修員としてマリオ・ボッタ事務所に在籍

1990年4月 近畿大学工学部助教授

1994年4月 早稲田大学理工学部建築学科助教授

9月 八木佐千子と共同でナスカ一級建築士事務所を設立

1997年4月 早稲田大学理工学部建築学科教授

2017年6月 日本建築学会会長

家族構成=妻、息子1人、娘1人

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