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建築は社会全体における様々な流れに沿って動くもの。それを味わいながら、自分の行き場所を探していくと、自然な建築や生活に出合える

建築は社会全体における様々な流れに沿って動くもの。それを味わいながら、自分の行き場所を探していくと、自然な建築や生活に出合える

内田祥哉

日本の建築構法と建築生産研究の大家である内田祥哉は、これまでの長い道のりにおいて、常にアカデミズムと実践を両立させてきた。モデュラーコーディネーションを核とする研究成果は、プレハブ住宅から高層建築まで幅広く生かされ、戦後の日本の建築業界に多大な事績を残している。他方、設計活動における代表作には、日本建築学会賞を受賞した「佐賀県立博物館」「佐賀県立九州陶磁文化館」や、意欲的な実験集合住宅「大阪ガスNEXT21」などがある。加えて、内田はプロフェッサー・アーキテクトの先駆けとして、人材育成に寄与してきたことでも高名だ。学者、教育者として、そして建築家として、内田はまさしく、その人生を建築に捧げてきたのである。

研究と設計を両立させながら、精力的に活動する

助教授時代から内田が力を注いできたものに「GUP」がある。グループ・ウチダケン・プロジェクトの略で、学生たちに、限りなく実務に近いプロジェクトを経験させるために始めたものだ。設計教育は、今でこそ実務との並走が重要だと理解されているが、当時、大学内で研究と設計を両立させるのは、非常に難しい環境にあったという。

学内での設計活動は、国立大学の施設を私用化しているとの批判につながるし、かといって、外に設計事務所を構えて仕事するのも許されない状況でしたから。でも、学生たちが実務を知らないでいると、研究の目的や具体的なテーマが見えてきません。それに、研究と実製作って矛盾だらけですからね、そんなことも理解してもらいたかったのです。大学側に反対の声はあったかもしれませんが、僕の耳には届かなかったことにして(笑)。

64年の東京オリンピックの年から始めて、GUPは20年続きました。当初は、住宅生産の国家プロジェクトを手伝っていたので、主に中層・高層集合住宅の設計を発表したり、あるいは国際コンペにも積極的に応募したりと、いろんな取り組みをしましたね。まだプロジェクトを担当できない学年の学生には、図面から模型をつくらせるようにして、「模型ができないようなものは本物もできないぞ」と教える。実施設計の厳しさがどこにあるかを早くに知ることは、非常に大切なことです。

プロジェクトを通じて得た経験を研究に沿わせ、調整をしていったりと、学生たちに〝両輪の成果〞は提供できたと思っています。「教える」ということができたかどうかはわからないけれど、巣立っていった学生たちの、その後の活躍を見聞きすると、それはやっぱりうれしいものですよ。

価値ある建築を志し、長持ちさせる。大事なことは、それに尽きると思う

一方、内田自身も研究の傍ら、精力的に作品を生み出している。代表的なのが、本稿の冒頭で触れた図書館や博物館、陶磁文化館などといった佐賀県での一連の仕事だ。「大変だったけれど、頼まれた仕事はものすごく懸命にやりましたよ」という内田が追求してきたのは、耐久性のある〝長持ちする建築〞である。

例えば、佐賀県立博物館の場合だと、辺りは地下水位が高く水が出やすい土地なので、全体を持ち上げるという発想でつくりました。貴重な品々を収める収蔵庫を地上に置くわけにはいきませんから。また、同様に収蔵庫でいえば、陶磁文化館のほうで知恵を絞ったのは、どうしたら磁器類を割らないように扱えるかということ。いきついたのが、人工芝による床。万が一落としたとしても、人工芝が緩衝材になって守ってくれる。もちろん実験済みで、試しに茶器を放り投げても大丈夫だったという話があります。

僕が目指したのは、長持ちのする博物館でした。佐賀県有田町の町長さんからの強い要望でもあり、それに応えるために、持てる知恵はすべて出し切ろうと。屋根に勾配をつけたり、外壁を二重にするなど、「できることはすべてやってみましょう」と、同時期につくった建物のなかでは何倍も注意深くつくったつもりです。今でもみんな残っていますし、けっこう満足してもらえていると思っています。

あと、これは東大を退官してからの仕事になりますが、「大阪ガスNEXT21」も耐久性を追求するもの。オープンシステムによる100年住宅で、名のとおり、21世紀の間中、居住実験を続けようというプロジェクトです。必要になるのは、将来つくられる建物の各部品が、耐用年数に応じて取り替えられること。例えば躯体は100年、外壁は25〜50年、設備は6〜12年などとし、耐用年数が長いものは壊さないで、逆に短い部品だけを取り替えられるモデュラーコーディネーションにしようということです。建ててから4年後の97年、外壁の移動という派手な実験をしたんですけど、それで問題がなかったのは、モデュラーコーディネーションがきちんとできていたから。NEXT21は、現在のところ、最も先進的で高度なモデュラーコーディネーションの実例だと思いますが、さらなる実験を経て、洗練されたものに普及することを願いたいですね。

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建築の未来に向けて。今なお研究を続け、第一線に立ち続ける

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PROFILE

内田祥哉

内田祥哉

1925年5月2日 東京都港区生まれ
1947年3月 東京帝国大学第一工学部建築学科卒業
4月 逓信省技術員
1949年4月 電気通信省技官
1952年4月 日本電信電話公社社員
1956年4月 東京大学助教授
1970年4月 東京大学教授
1986年4月 明治大学教授
東京大学名誉教授
1993年4月 日本建築学会会長
1994年4月 日本学術会議会員
1996年4月 内田祥哉建築研究室設立
1997年4月 金沢美術工芸大学特認教授
2002年4月 金沢美術工芸大学客員教授
2010年4月 工学院大学特任教授
日本学士院会員

主な受賞

1970年 日本建築学会賞(作品/佐賀県立博物館)
1977年 日本建築学会賞
(論文/建築生産のオープンシステムに関する研究)
1982年 日本建築学会賞
(作品/佐賀県立九州陶磁文化館)
1996年 日本建築学会大賞(建築構法計画に関する一連の
研究および設計活動による建築界への貢献)
ほか多数

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