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Architect's magazine

その場所が気に入った、 そこにいたい…… 人が湧きだしてくるような空間。 それも百人、千人単位でいることが 絵になるような空間を、つくりたい

その場所が気に入った、 そこにいたい…… 人が湧きだしてくるような空間。 それも百人、千人単位でいることが 絵になるような空間を、つくりたい

小嶋 一浩

大学院在学中に「シーラカンス」(のちC+A、CAtに改組)を共同設立して以来、小嶋一浩は、主に公共建築において多くの話題作を生み出してきた。とりわけ著名なのは学校建築で、代表作「千葉市立打瀬小学校」「宇土市立宇土小学校」「ホーチミンシティ建築大学」などは、今も際立った存在感を放つ。貫かれているのは、建築や都市のなかに、空間の面白さ、自由さを獲得するというこだわりだ。それを実現するための思考は、「アクティビティ」「スペースブロック」「黒と白」などといった独自の言葉に還元されているが、同時にこれらは、新たな建築のありようを示す道標にもなっている。

好奇心が旺盛ななか、強く残り続けた関心事は「建築家」という存在

京阪奈丘陵に位置する大阪の枚方市で生まれた小嶋は、「山で遊ぶのが日常だった」と振り返るように、色濃く残る自然に触れながら育った。時代は高度成長期のさなか。そのシンボルともいえる大阪万博が開催された1970年、小嶋の実家は建て替えをしたそうで、この時目にした住宅雑誌が、小嶋少年に建築への興味をもたらした。

実家は「セキスイハイムM1」の関西第1号だったんですよ。ユニットを積んだトラックがやって来て、1日でダーッと家をつくり上げていく光景は衝撃的なものでした。結果としてセキスイハイムになりましたが、親が買っていた住宅雑誌に、建築家がつくった家が載っていて、目を引いたのです。なかでも印象的だったのは東孝光さんの作品。がらんどうの2層分コンクリートのなかに、間仕切りを兼ねた巨大な家具が配され、使い方によって広いワンルームになったり、複数の部屋に様変わりしたり。こういうことを考えるのは面白そうだなと、この時初めて建築を意識したのです。それまで夢中になっていたのは貝殻集め。家族旅行で南紀白浜を訪れた際、砂浜に打ち上げられた様々な貝殻の美しさに魅せられたのが発端です。子供ながらに、『原色日本貝類図鑑』という学術書を丸暗記するほど読み込んだものです。そういえば、この図鑑の読書感想文をコンテストに出したら、珍しかったのか、全国的な賞をもらった記憶がある(笑)。だからこの頃は、将来、海洋生物学者になりたいと考えていたんです。でもまぁ、元来好奇心が強いほうなので、以降は文系に関心が向いたり、かと思えば自転車やオフロードバイクにはまったりと、いろんなことにフラフラしていましたね。

「学校が面白いと思うようになったのは、建築を学び始めてから」。つまり大学に入学するまで、小嶋はずっと学校という場が好きではなかった。通った高校は、大阪府立四條畷高等学校。ラグビーの名門としても知られる進学校だが、小嶋は「学校には朝顔を出すだけで、大半は喫茶店にいた」という日々だったらしい。

中学の頃までは「行くものだ」と思っていたけれど、一貫して学校は面白くなかった。高校は生活指導が厳しくなかったし、高校生ともなれば勝手をするから、授業にはほとんど出ずですよ。昔の学校ってどこも同じで、つくりは基本形の片廊下。教室に閉じ込められ、先生に支配されている空間だという観念がずっと強かった。これまで手がけてきた学校建築は、この頃に感じていた窮屈さが、ある意味反面教師になっているのかもしれません。ただ、ラグビーをやっていた記憶はあるので、体育の授業には出ていたんでしょうね。年に半分はラグビーをやるので、部に入らずとも、体育の授業だけで相当鍛えられました。脳震盪を起こす生徒続出という感じだったし、男子は皆、廊下でもモールとかラックをやっていたものです。親戚に医者が多いこともあり、親としては僕を医者にさせたかったんです。だから、得意じゃないのに理系に進む環境にあったのですが、僕はそもそも生き物が苦手。ペットもダメなくらいで……。逃げ道はどこだろうと考えた先が建築でした。途中、関心事はうつろってきたけれど、子供の時に抱いた建築への興味が強く残っていたことも確かです。それで、建築家になるための教育を受けられる大学はどこだろう
と調べ始めた。当時はインターネットもないし、田舎の高校生が「どこの建築学科にどんな先生がいるのか」という情報を得るのは、相当大変でした。必死に調べていくなか、京大で教職に就いていた増田友也さんや、都市計画家である上田篤さんの著書に惹かれ、進学先として京大を選んだわけです。

小嶋/本文挿入画像1

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自力で引き寄せた学びの機会。そして東大大学院へ

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PROFILE

小嶋 一浩

小嶋 一浩

1958年12月1日 大阪府枚方市生まれ

1982年3月 京都大学工学部建築学科卒業

1984年3月 東京大学大学院修士課程修了

1986年 東京大学博士課程在学中に、伊藤恭行氏(現CAnパートナー)らと

「 シーラカンス」を共同設立

1988~91年 東京大学建築学科助手

1998年 C+A(シーラカンス アンド アソシエイツ)に改組

2005年 CA(t C+A tokyo)と CAn(C+A nagoya)に改組

2005~11年 東京理科大学教授

2011年~ 横浜国立大学大学院建築都市スクール“Y-GSA”教授

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