アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

MAGAZINE TOP > 新進気鋭 > 鈴木 亜生

未来の人と環境が欲する 隠れた魅力を、感じ、興す、 〝感興する建築〞を

未来の人と環境が欲する 隠れた魅力を、感じ、興す、 〝感興する建築〞を

鈴木 亜生

建築の歴史を認識し新たな建築をつくる

幼い頃から、鈴木亜生氏にとって建築は、生活の一部のような存在だった。小学校に上がる頃、建築士である父親が独立。学校では見ることのできない製図板や、大きなものさしなどが揃う自宅兼建築事務所は、格好の遊び場だったという。父親が設計した住宅の現場監理にもたびたび同行した。
「小学校の卒業文集の『将来の夢』の欄が書けませんでした。建築があまりにも身近にあり、父の仕事を継ぐのだろう、と当たり前のように思っていたので」

大学では、建築家として第一線で活躍する数々の教員陣と出会う。鈴木氏が、「自分は〝建築士〞ではなく、〝建築家〞になるのだ」と決意したのはこの頃だ。尊敬する建築家たちに会いに行くため、学外のワークショップにも積極的に参加した。東京の大学で行われたワークショップで、1970年代から今も活躍し続ける石山修武氏と会い、人間性や建築の在り方について指南されたことを振り返る。
「恣意的な意図や自我を消すことの重要性を語ってくださったのですが、19歳の自分には難しくて……。『建築は、ゼロからオリジナルをつくるものではない。参照する歴史があって、それをいかに時代に合わせて表現するか、が大事』ということを、教わったのだと認識しています」

その後、東京理科大大学院に進み、建築史について研究した。
「石山先生の言葉をきっかけに、自分なりに考えたことがあったのです。歴史を認識していくことから、新しい建築が生まれるのではないか、と」

今伸びている若手の建築家のもとで働きたい、という思いがあった鈴木氏は、修士課程を修了すると、乾久美子建築設計事務所の門を叩いた。当時の乾氏は、「ルイ・ヴィトン大阪ヒルトンプラザ」や「ディオール銀座」を手がけていた頃。多忙を極め、毎日深夜まで帰宅できない日々が続いた。求められる仕事量、スピード感についていけず、やむを得ず退所の道を選ぶ。

その後、中村拓志&NAP建築設計事務所に移り、最初に任されたのは、300㎡の美容室のコンペだった。中村氏から、「これが取れたら採用する」と告げられた鈴木氏は、全身全霊をかけて作品づくりに没頭した。
「それが、徹夜続きでコンペ当日に寝坊してしまって……もうだめだと思っていたら、先方の手違いで、日程が変更になったのです」

そんな偶然にも助けられ獲得した「ロータスビューティーサロン」の案件で、鈴木氏はコンペから設計、監理、引き渡しまで一連の流れを初めて経験する。その後、自信をつけた2年目、「ナンバー2の座を僕にください」と中村氏に申し出た。

おおいに事務所に貢献し、4年目に独立を決意。同事務所で手がけた最後の仕事は、千葉の別荘「地層の家」。現地の土を活用してつくられた外壁が、隆起した地層のように自然と一体化している。鈴木氏が、「独立後の方向性のベースになっている」と話す作品だ。

【次のページ】
素材×技術力が生む建築と環境の新接点

ページ: 1 2

PROFILE

鈴木 亜生

鈴木 亜生

1977年、静岡県生まれ。

2002年、東京理科大学大学院理工学研究科修士課程修了(川向研究室)。

03年、乾久美子建築設計事務所入所。

04年、中村拓志&NAP建築設計事務所入所。設計室長を務める。

09年、ARAY Architecture 設立。
グッドデザイン賞をはじめ、住まいの環境デザイン・アワードグランプリ、日本建築学会作品選集新人賞、World Architecture Community Awards17thなど受賞多数。一級建築士。

人気のある記事

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ