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機能ばかりに固執してきた近代建築の思想は、根本から変えなきゃいけない時代にきている

機能ばかりに固執してきた近代建築の思想は、根本から変えなきゃいけない時代にきている

伊藤豊雄

2013年5月、“建築界のノーベル賞”と称されるプリツカー賞を受賞した伊東豊雄。周知のとおり、我が国を代表する建築家の一人である。様々な素材と表現形式に挑むことで、建築スタイルを革新し続けてきた伊東の根源にあるのは、常に「社会」と向き合おうとする姿勢だ。人々の営みや自然環境に真っ直ぐな視線を注ぎ、建築、そして建築家の在り方を常に問うてきた。72歳となった今も、伊東は、世界的なプロジェクトを牽引する一方、今般の行き過ぎた近代主義に異を唱え、「世紀の建築原理」を確立するべく先鋭的な活動に取り組んでいる。「建築家の肖像」初回は、そんな伊東のしなやかなる軌跡をひもといていく。

後進の育成と共に、“次なる建築”をリード。挑戦はさらに続く

以降、伊東の建築は大きく変化した。こだわってきた軽快さや抽象性よりも、「強さ」「楽しさ」といった人間の持つ生命力をストレートに表現する――それは、近代建築からの脱却でもある。「まつもと市民芸術館」「座・高円寺」といった代表作をはじめ、「トーレス・ポルタ・フィラ」(スペイン)、「高雄ワールドゲームズメインスタジアム」(台湾)など、海外においても精力的に活動。その足跡は大きい。

クライアントと共に、長い時間をかけて議論しながらつくり上げていくという点では、正直、海外の仕事のほうが充足感はある。建築に対する関心の持ちようが違うんです。立ち上がりの段階から「どうしてこうなっているんだ?」と、素朴に興味を持ってくれる。日本は、こと公共建築になると機能ありき、管理しやすさありきで、新しいことに対するリスクを、どうしても避けたがりますからね。

ただ、施工能力は圧倒的に日本が高い。海外コンペになると、「この国だったら、技術的にここまでだな」って設計をケアするんですけど、バックグラウンドに日本のゼネコンがいてくれれば、何の心配もありません。コンクリートの壁にしても、鉄骨にしても、精度が1桁違う。日本で1mmの誤差があれば、海外では1cm違う感覚です。日本の建築家が海外で評価されるのは、半分はゼネコンの技術力のおかげですよ。昨今、お家芸だった電気製品なんかは、あまり差がなくなってきたけれど、日本の建築技術はダントツ、世界に誇れるものだと思います。現在進行中の台中のオペラハウスも、本当はもうとっくに完成している予定だったのに、14年いっばいはかかりそうで。やはり、施工技術の問題で苦労しています。いつも思うんですよ。海外のぷあプロジェクトにも、日本のゼネコンと職人さんを連れていきたいって(笑)。

2011年。事務所設立周年にあたるこの節目に、伊東は、後進の育成のために私塾を立ち上げた。東日本大震災が起きたのは、その矢先のこと。伊東は、塾生らと共に被災地に通いながら「これからの建築」を考え、他方、志ある建築家たちと、被災者のための「みんなの家」プロジェクトを展開するなど、復興活動に力を注ぎながら、今また新たなステージに立っている。

少し希望が見えてきたのは、釜石市が進めている「かまいし未来のまちプロジェクト」です。集合住宅や学校など、主要施設の設計を担うパートナーを公募型のプロボーザルで選び、民意を汲み上げながら進める新しいかたちの復興計画です。政府主導の計画は相変わらず機能主義で、例えば、防波堤ひとつで住む所を切り分けるような発想では、東北らしい、今日まで積み上げてきた町にはならないんですよ。機能主義ではなく、もっとソフトの部分を組み込んだ次なる発想で町を復興させていく――釜石市が先んじてそれをやろうとしている。僕は、復興ディレクターとして参加していますが、今後も全力を尽くしたいと思っています。

僕らも含めて、戦後は近代建築にどっぶり浸かってやってきたわけです。機能という概念によって人間の活動を抽象化し、それらの要素を組み合わせて「これが最適です」と。でもね、人間の活動って、本来そんなに割り切れるものじゃない。もっと複雑なことやニュアンスの総合作用で成り立っている。機能は、むしろ曖昧にしていったほうが楽しく自由に過ごすことができると考えています。もうひとつ、近代建築は自然との関係を切り捨ててきました。その弊害は大きい。もう近代主義の思想は、徹底的に変えないといけない時期にきていると思うのです。

これからの人生で一番やりたいのは、若い人を育てること。人々のために、社会のために、建築はどうあるべきかを考える人材です。そして理想的には、近代建築のセオリーから解き放たれた「21世紀の建築原理」をつくり上げていきたい。まだまだ、走り続けないといけませんね。

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PROFILE

伊藤豊雄

伊藤豊雄
1941.6.1京城府(現大韓民国ソウル市)生まれ
1965.3東京大学工学部建築学科卒業
1965.4菊竹清訓建築設計事務所入所
1969.4菊竹清訓建築設計事務所退所
1971.3株式会社アーバンロボット URBOT設立
1979.7株式会社伊東豊雄 建築設計事務所に改称
主な受賞歴

日本建築学会賞作品賞(1986年、2003年)

日本芸術院賞(1999年)

ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞 (2002年に生涯業績部門、2012年にコミッショナーを務めた日本館)

王立英国建築家協会(RIBA) ロイヤルゴールドメダル(2006年)

高松宮殿下記念世界文化賞(2010年)

プリツカー賞(2013年)

ほか多数

 

 

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